2010年12月31日金曜日

洗濯

インターン先の会社も流石に大晦日出勤という事態は回避し、昨日無事に仕事納めということに相成った。

クリスマス前と同様、終業時間の到来とともに「Feliz Ano Novo!」といって互いに抱き合い、挨拶を交わす。

その後のHappy Hourの人数はそんなに多くなかったけれど、楽しむことが出来た。

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さて、今朝は起床の後に洗濯をした。

洗濯機は共用なので、今日のように忘れっぱなしにすると次に使いたい人が困ってしまう。

しかし次の人にも何も手段が残されていないというわけではなく、洗濯機の中身を脇にのけるという強行手段がある。

そして今日、僕の洗濯ものはその対象となった。

そのこと自体は、むしろこちらの負い目なのだが、気になったのはその強制執行に打って出た側の言葉だった。



「男の子はなんでもかんでも一緒に洗っちゃうよね」



うーむ、確かによく下着もシャツも靴下もひっくるめて洗っていますが、それって効率を考えたら普通のことなのでは。。。

それに色モノや白いワイシャツ等は別にして洗っていますが、、、、



他の人がどのように洗濯しているのか、ふと気になった、そんな12月31日でした。


(大晦日だというのに日常ネタなのは、あまり非日常性を感じないので仕方がない。今日は15時くらいまでいい天気だった!)

2010年12月29日水曜日

韓國館

昨日の夜は久しぶりに夕食に連れていっていただいた。

年末で休暇に入っている人が多いせいか、平日にもかかわらずいつもより人が多い。特に家族連れが目立つ。

またとなりの席で食べていた団体さんが、どうやら韓国人と日本人が半々の比率でいらした模様で、そんな会社があるのかと非常に気になった。

地下鉄Libardadeの駅から歩いて2分もかからないこの店は、本場の味を出してくる。

もちろん韓国で食べる韓国料理とは比べられない(そもそも韓国に行ったことがない)が、ジンギスカンの肉に下ごしらえをしている点、キムチなど辛い料理を普通に出してくれる点が好評価である。

連れてきていただくたびに食べ過ぎてしまう気がする。

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「会社は人である。」

この言葉を先週と今週で2回も聞かされた。もちろん別の人からである。

インターン先における登用・教育の話をしていた。

その方自身はご自分の考えを上申するつもりはないという立場だが、それでもいろいろ考えさせられる。

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また別のところで聞いた話であるが、サムスンは将来のブラジル駐在員を若いうちから研修と称して1年ほどブラジルに送りこみ、仕事をさせるでもなく、ひとまずブラジルという風土に慣れさせるらしい。

そして一度帰国させて韓国で一通りの訓練をしたのち、本番の駐在として長期にわたって派遣する。

このサイクルは長期的な成長を見込んだ人材戦略だと言える。

ところが日系企業はどうか。

少なくとも自分の知る限りでは人材戦略が現地支店と日本本店とで分断されているように思われる。

もちろん例外企業もある。


有望な人材をどんどん外に出して「やらせてみる」度量が必要なのではないか。


本店と支店を貫く戦略を考えられるためには、トップに立つべき人間が支店の現場を知らなくてはいけないのだろう。

2010年12月26日日曜日

Feliz Natal

英語だとMerry Chiristmas and a Happy New Yearなのだが、こちらではFeliz Natal e um Feliz Ano Novoである。

同じアルファベットの言葉とはいえ、ポルトガル語で表現するのはそれを母語としている人たちからしたら当然のことであるが、違和感は否めない。

どういうことかと考えてみれば、日本の宣伝広告に洗脳されている立場としては、やはり英語の、そしてアメリカの影響が強いのだと、こんなところで思わされる。

「We wish a Merry Christmas. We wish a Merry Christmas. We wish a Merry Christmas and a Happy New Year~♪」のフレーズが頭に焼き付いており、挨拶しようとするとこれらの英語が口から出そうになるのに気がつき、口をつぐむ自分がいる。

違和感つながりで言えば、亜熱帯における夏の時期にこの一大イベントを迎えていることも違和感を感じる一つの要因であることは間違いない。

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今週末は2泊3日でBauruという街の友人の家にお邪魔している。サンパウロから西北にバスで4時間ほどいったところである。

金曜日の朝9時のサンパウロBarra Fundaバスターミナル発のバスでバウルについたのが13時40分くらい。

バスを降りて券売り場の方に行くと、友人とその叔母さんが迎えに来てくれていた。帰りのバスの切符を買って、そのままおばあちゃまのお宅へ。でかい。

少し遅い昼食を友人の1親等以内の家族とともに外のレストランに食べに行った後、家で友人の書類作成(日本語)を手伝う。

そしてメインの一族全体の集いは夜の11時過ぎにやってきた。会場のおじさん宅に行ってみると総勢30人以上はいたものと思われる。大家族だ。

そもそも友人のお母さんが5人兄弟で、その子どもたちがそれぞれ2人~3人、さらにその子ども(孫)の世代も5人くらいきていた。パートナーたちも含めればそんな数字になるのである。

基本的にポルトガルの血の家なので日本人は珍しいらしく、いろいろ尋ねられた。

特に宗教に関する質問は考えさせられたが、その話はまた今度。

とにもかくにも、田舎に帰って一族団欒を楽しむ、そんな場を垣間見させてもらった。

家族同士でプレゼントを交換し、ご飯と酒を共に摂りながら語り明かす。それが僕の見たNatalであった。

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あと1時間半でサンパウロへ出発だ。

2010年12月23日木曜日

make.believe

23日はサンパウロ市大水路内北西部にあるBarra Fundaにいった。

目的は某電機メーカーの社屋訪問である。

企業としてブラジルに参入したのは1973年とのことで、訪問したサンパウロの営業オフィスも400人規模(我が社の約13倍!)という。建物が綺麗で大きかった。

最初に通していただいたのは、会議室。

ブラジル人のマネジメント層の方がこのブラジルでのプレゼンスについてプレゼンをしてくださり、それに社長さん(50歳くらいの日本人の方)が適宜補足を入れてくださる、という豪華な時間を過ごした。

何よりプレゼンをしてくれた方の英語が聞きとりやすく、街中で英語が通じないブラジルなのに、という意味で感動した。教育にお金がかかっているに違いない。

一通りプレゼンが終わった後は、質疑応答をし、さらにオフィス内部を軽く見学させてもらった。

見学があっという間だったのは、時間的にお昼時だったせいと、そもそもクリスマス前で休暇を取ってる人が多いからだ。

人が少なかったので逆にオフィス内の空間の広がりが印象的だった。50人~80人ほどのフロアがいくつもあり、とにかくでかかった。

見学が終わると昼食に連れていっていただいた。近くの食堂は混んでいたので、社長さんの車で一路Ana Rosaのとんかつ定食屋「味彩」へ。

久しぶりの美味に舌鼓を打ちつつ、社長さんとの会話を楽しませていただいた。

ありがとうございました。

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・サンパウロ:400人、マナウス:1000人

・09会計年度は-9%、10会計年度は+67%

・グローバルHQとの直接的な指揮系統下にある、世界で5つしかない販社のうちの一つ

・他の中南米諸国はマイアミが管轄し、それをグローバルHQへ吸い上げる

・グループ企業体としてグローバルHQとの意志疎通に力を入れている:世界中の意志決定者たちをサンパウロに集めて2日間の集中討議

・パラグアイからの並行輸入を阻止する予定

・「客がいなければ店の外に出る」営業:ブラジル全土600人のプロモーター⇒競合にはない強み

・特にテレビの販売実績を飛躍させ、No.1を目指す

・全人口の46%を占めるCレベルの人たちへの浸透

・田舎の見本市で実施したハウスシアター30日お試しキャンペーンの成果:99%

・Defect Ratio:不良率

OEM/ODMをうまく使って効率化

・工員は一定のトレーニングを受けたのち、数日の導入でどのラインにでも行けるようになっている⇒ブラジル独自の効率化

・マナウスだけで116モデル(半数はLCD製品)

・それ以外のハイエンドモデル等の少数高利益商品は輸入でカバー

・「箱を売る」から「箱を売らなくても儲かる」へ

・語学を会社がバックアップ:試験等を課してチェックする

・定期採用は難しく、年間2人くらい

・それでも着任当初に比べ定着率は向上している

・「今後自分で起業したり他の会社の重役になるような人たちだから、この会社で働いて良かったと思わせたい」

22/12

今日は久しぶりに仕事が捗った気がする。

それは他人と一緒にやらなければいけない仕事に目処がついたからかもしれない。

新しい仕事が降ってきたところで、今日の就業は時間切れ。

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今日の昼は例の中国人研修生のお別れ会と称して社長さん・副社長さん・中国人研修生・我等日本人研修生2名でBahia料理のお店で食事をした。

Bahiaというとブラジルの東北部に位置する、風光明媚な海岸リゾート地帯として有名な州である。

歴史的に黒人奴隷の導入によって栄えた地域なので、文化的にもアフリカ文化が根強いらしい。

やはり海岸地帯の料理ということでメインは、Moqueca(モケッカ)という名前の魚介類を煮込んだものだった。

基本的には皿の上にシチューと米をよそって食べる。

しかし、さらにFarofa(ファローファ)と呼ばれるトウモロコシ粉やら小麦粉を混ぜたものや、魚を煮込んだスープ、タバスコなどを混ぜ合わせると絶妙な味わいを醸し出し、非常においしかった。

普段こちらで口にするものはほとんど単純な味なので、こうした深みのある味というのは希有であり、重宝する。

日本だとスープのだしをとったり、一品つくるための段取りがいくつもあるが、こちらではそういう発想はないのだと思われる。

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そして仕事を終えたのちは今までお世話になったAIESEC USPの現財務責任者のお別れパーティに参加するためバスに乗って一路西へ。

この12月で任期を終えたのちは、アルゼンチンで2ヶ月間NGOインターンシップに臨むとのこと。

ひょっとしたら旅行中に会えるかもしれないねと言って、お別れをした。

Boa viagem!

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バスに乗って家へ帰ろうとしたところ、気が付いたら停留所を一つ通り過ぎていた。

しかたないのでそこから歩いて帰ったのだが、脇のランショネチ(ブラジル版定食屋)に同じ宿の人たちが飲んでいるところに遭遇し、合流した。

この日の夜、宿の施設を使ってドキュメンタリー映像の上映会をしていたらしいのだが、その後の打ち上げということだったようである。

そのドキュメンタリーをつくった方も一緒にいらした。

実は現在、同じ宿に住んでいる人(日本人の幼稚園の先生)の友人(ブラジル人)のおじいさんについて、宿の一部の人で盛り上がっている。

そのおじいさんが、ブラジル陸軍の元軍人で1930年代に2年にわたって日本で生活をしたことのある方(当時の)で、その当時の資料がリオ・デジャネイロの家に残っているらしいのだ。

その話をドキュメンタリー作家の方にしたところ、ここでも少し盛り上がった。

彼曰く、まずその元軍人さんの写真の中に板垣征四郎などと一緒に写っているものがあり、日中戦争に観戦武官として派遣されていたのではないかということ。

加えて、史料としての価値も日伯関係史の文脈で大きいのではないかとのこと。

個人的には、その元軍人さんが日本について書いたという3冊の本のコピーをほしいと主張している。

歴史的な資料は相応の機関に預けるのが、史料・その所有者・世の中のためになると思う。

2010年12月20日月曜日

ググる

先週末のこと、季節指標を作るための準備としてブラジルにおける一大イベントの日付を確認していた。

すなわち「Copa do mundo(サッカー・ワールドカップ)」と「Carnaval(カーニバル)」である。

季節指標とは売上の予測を出すための指標であり、過去の市場実績を基に作られる。

しかし上記イベントに際しては市場全体が著しく停滞するので(年間実績の2~3%くらい?)、それらのイベントが何時あったのかを把握し、指標作成の際に考慮しなければならない。

この時やっていたのは、市場実績のデータが業界団体からなかなか来ないので、準備として修正に必要な日付くらいは確認しておこうということである。

前者はWikipedia上で開会日から閉会日まで詳細な情報に直ぐアクセスできる。しかも4年に1度のことなのでそんなに情報量は多くない。

しかし問題は後者であった。

毎年あるイベントなのに、年によって違うらしいという以上のことは誰もわからないようだった。

ところが、である。

こちらでの生活が長い日系準二世の方に相談していたところ、なんと脇で様子を見ていた財務部の同僚がカーニバルの祝日算出のためのロジックを示すためにサクッとググってくれたのだった。

いつも冗談ばかり言っている奴で、しかも一緒に仕事をする機会はなかったので、この知的営為をいとも簡単にこなす奴だとは思っていなかった。いい意味で期待を裏切られた。

ブラジルで長年生活している人ですら詳しくは知らないような情報を、そうしてWeb上から簡単に引用してくれた。(個人的にはポルトガル語だと未だ難しいので、余計感動した。)

もちろん財務というExcel関数をよく使うという仕事の性質上、そうした行為に慣れているということもあるかもしれない。

しかし、ググることを知っているということは、そうして自分の欲する知識を獲得できるということを知っているということであり、知識獲得の作法を体得していると僕の眼に映ったのである。

よく言われることだが、メモリなんてものは機械がいくらでも代用してくれるわけで、この先人間に問われるのは、如何に情報を組み合わせて新たなものを創っていくかということなんだろうと思う。

その「組み合わせる」という行為の前提としての、組み合わせる要素を見つ出してくること。

ググるとはそういうことなのではないかと思われる。(ちょっと乱暴な議論ですが。。。)


<今日の結論>

・自分ひとりでWeb上から知識を獲得できる術を知っている人は応用が利く。

カーニバルは結局イースターの47日前であり、太陰暦に基づいているため2月4日から3月9日までぶれる。2011年は3月8日。

2010年12月19日日曜日

恐怖

ゴキブリが、である。

我が住居である鹿児島県人会館は緑の地下鉄のクリニカス駅から市営墓地沿いに10分弱あるいて行ったところにある。

そこの墓地沿いの道端に出る。

しかもただのチャバネゴキブリよりかは一回りくらい大きめで、前足で少し立体的に構えているようなやつである。

姿勢がいいので余計威勢があるように見えるのかもしれない。

夜に通ると1回で10匹くらい見ることなどざらであり、否が応でも目に入ってくる位置にそれだけいるのだから、もう少し注意して見ればもっといるのだと思う。

もちろんいつもそんなに遭遇するというわけではないので、活発化するためには、何らかの条件があるのだと思われるが、これだけ天候が変わりやすいサンパウロなので、いまいち把握しかねている。

いずれにせよ、これから夏を迎えるので何かしら頭数は増えるものと思われるが、僕が通る際は、何とぞよしなにやり過ごしてやってほしいものである。

また逢いましょう

最近やたら深刻な記事を書いたが、幸いにして取り越し苦労に終わったようである。

今日も例によって「ポルトガル語教室」の前後で色々話していた。

某私立大学への留学のための学費工面も片がつき、一方でJETプログラムなる日本政府による語学教師の海外からの招聘事業に乗るという選択肢も捨てずに面接に参加する予定であるとのこと。

日本で働いている彼氏の太っ腹具合やそれを捨て得る可能性を残しているということに驚嘆を隠せなかったが、先週の悲壮な表情とは打って変わって希望に満ちあふれていた、その表情にこちらも安堵した。

我が帰国スケジュールについても話した。

しかし、いずれにせよ、彼女は近々日本にやってきて生活するということなので、幸か不幸か、他のブラジル人たちに対して抱くほどの重さはなく、「また逢いましょう」という軽いノリなのである。

ちなみにポルトガル語教室自体は年明けも執り行う予定である。



そんな彼女との会話の中で気になったのは「ブラジルの外の国は沢山あるのに何で日本に興味があるのか自分でもわからない」という言葉。

彼女はEspírito(Spirit)の導きであるという言葉を使っていたが、つまるところ直感である。

外国で生活するというと大半の日本人からすると大層な決意が必要なものであるように捉えられているように思う。自分もそうだった。

しかしミクロで見れば、最終的に人を動かすのは直感なのではないだろうか。

「これ、面白い!」という直感を失くさずに生きたい。

A gente tem que explorar...

納税者IDを用いたデータマイニング

CPFと言えば、以前書いたように、ブラジルにおける納税者IDのことであり、無理やり日本語に直せば「自然人登録」とでもなろう。

これと同様のものを法人に当てはめたのがCNPJであり、CPFと併せて法的に大きな意味を持つID番号となっている。

そもそもの制度の背景など、ちょっとかじった程度の知識をひけらかしても仕方がないので、今現在、これらの数字たちとどのようにつき合っているのかを記したい。

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これまた以前書いたように、インターンシップの仕事内容として主に顧客情報管理ということをやっている。

目下やってきたのは、マーケティング部独自の顧客調査の実装であり、安定的な運用であった。

しかし商売をしている以上、絶対不可欠な顧客情報というものもあり、それは上記の、いわゆる顧客調査より、はるかに現場に近い部署・顧客との接点からあがってくる。

そこで出てくるのがCPF/CNPJといった納税者IDであり、もちろんインターン先企業の製品のように高価な買い物(※)をする際には必ず提示しなければならないのである。

もちろん当社の顧客データベースにもCPF/CNPJの欄があり、売り上げの分だけID番号が登録される仕組みになっている。

では、これら納税者IDを用いて何が出来るかということだが、納税者IDを鍵として全く別のデータベースを統合することが出来るのである。

例えば、現時点で我が社がやっている顧客調査として、顧客プロファイル・サービス満足度・製品満足度の3つがある。これに保証システムの顧客基礎情報を加えると4つのデータベースを持っていることになる。

納税者IDを媒介として、これら4つのデータベースの情報を統合することが可能で、現に統合している。

では、それを具体的にどのような局面で用いて、どんないいことがあったのかということは、機密に抵触すると思うのでここでは書かない。

(※基準はよくわからないが、食品や衣類等一般消費財の購入以外では基本的に提示しなければいけないイメージ)

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代わりに将来的にどのようにしたいか、というイメージだけ記す。

つまるところ、顧客の消費情報とクロスして戦略策定に活かしたいということである。

クレジットカード社会のブラジルでは、カード払いが日常茶飯事だ。

昼食も近所のスーパーへの買い出しもカード払いで済ませてしまう。

したがって、クレジットカード会社が持っている情報は膨大で、カード利用者の金銭取引をかなり詳細まで把握できるものと考えられる。

それだけの情報にアクセスすることが出来れば、その人がどんな商品に金を出すのか、そうすれば買おうと思わせることが出来るのか、見えてくるはずだということである。

以上のイメージは、GoogleやAmazonなど有名どころが何年も前からやっていることで、いわゆるデータマイニングとかいった概念の適用でしかない。

しかし、ここブラジルであれば、その納税者IDを機会としてインターン先企業の業界でも導入できるのではないかと考えている。(ひょっとしたら大手競合は既にやっているかもしれないけれど。。。)

自分がやっているのは、そうした状況を実現するための、ほんのわずかなことでしかないが、夢は大きく、自分が会社を去った後の動向が気になる所である。


2010年12月17日金曜日

Time to say good bye

Agora a gente mudará de posição.

Alguém vai e outro vem.

Eu também.

Eu voltarei ao Japão em fevereiro que vem.

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Hoje teve um evento da AIESEC USP na FEA, USP, chamado "The Day".

Primeiramente a gente apresentou sobre o que aconteceu na CONAL, uma conferência nacional da AIESEC no Brasil.

E depois, tivemos pizzas e bebidas em outro lugar na faculdade.

Finalmente, a gente trocou presentes na forma de "Amigos Secretos". Ganhei um vinho!

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No final, falei com a mulher do Canadá que voltará ao país.

Ela fala mais de quatro linguas: italiano, inglês, francês, espanhol e agora, português.

Agredeci e dei "muito obrigado" para ela. Fiquei satisfeito no momento.

E aí, falei sobre o manga "CESARE: Il Creatore che ha distrutto".

Esse manga é muito interessante porque mostra muitos detalhes de acordo com as pesquisas que a autora faz.

No momento, ela falou pra mim "Devagar e sempre. Você pode aprender devagar mas pouco a pouco".

Eu fico com uma invejinha, mas me diverto quando falo com ela.

Agora estou interessado no mundo da família das linguas românicas.


2010年12月15日水曜日

残り1か月

きった。

とはいうものの、特に記事にするようなことはしていない。

いつものように出社し、仕事をこなし、退社する。

強いて言えば、こちらでお世話になった人たちへのあいさつ回りの準備を始めたというところか。


某社社長さんはメール後30分でお返事をいただいた。それだけで感動。


某公共放送のサンパウロ支局にも訪問することになっている。

唯一の駐在員さんは現在出張中でクリスマスに戻ってくるとのこと。お疲れ様です。


また、以前から行きたいとこのブログでも書いていた東山農場についても少しずつ動き始めている。

担当の方に問い合わせたところ、先方の社長さんにもつないでいただけるかもしれないとのこと。

返答が待ち遠しい。


そろそろいろんな書類(報告書の類)を作らなくては、と思い始めました。


参考:最近見つけたブラジル関連の記事。

ソニー・ブラジルの社長さんの記事

東山農場の社長さんによる記事


2010年12月14日火曜日

Ideograma

日本語がポルトガル語に取り込まれていることが多々ある。

単に日系が先に来たというだけのことかもしれない。

Como exemplos de escritas ideográficas, podemos citar os hieróglifos do antigo Egito, a escrita linear B de Creta e a escrita maia, assim como os caracteres kanji utilizados em chinês e japonês.



やりがいってなんだろう

求められるアウトプットを出すことと、やりたいアウトプットを出すことは全く別物である。

両者が一致している人はそんなにいないらしいが、では何故両者が一致しなかったときに何が起こるのか、それは果たしていけないことなのか。

一時的なわがままでしかないのではなかろうか、等など。

2010年12月13日月曜日

Cesare

今日は友達を訪ねてサンパウロからバスで1時間半ほどのカンピーナス(Campinas)を訪れた。

サンパウロに比べて日陰が少ないことに加え、夏の通り雨(Chuva de verão)もあり、ひたすら蒸し暑かった。でも交通は渋滞もなく軽快。

ショッピングセンターで昼食を食べたのち(我が社のディーラーが展示ブースを出展中だった!)、東山農場の下見をして、最終的には友達の家でゲームをして親睦を深めるという和やかな1日だった。

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翻って、昨日の会社の方のお宅でのパーティについて。

14時開始という事前通達とは裏腹に人が集まるのに時間がかかったことを除けば、盛況であった。ブラジル時間なんてそんなものではあるのだが。

総務・人事系の方なのでその部署の人たちと日本人つながりという事で我々研修生も呼んでいただき、大いに食べ、飲ませていただいた。

18時を過ぎて第一団が帰宅し、さらに一時間ほどして、自分を除いて全員が帰ってしまった。

その後は家主ご夫妻としばし歓談。結局2時間くらい唯一の客としてお邪魔させていただいた。

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宴もたけなわ、第二団が帰るというときにたびたびお宅にお邪魔している方に「帰る前にもう一度我が家に来い」と声をかけてもらった。

自分と同じくらいの娘がいるその人はその奥さん(こちらが会社の同僚)と共に非常に懐の深い方である。

声をかけてもらったのは、そろそろ自分が帰るということを告げたためである。

saudadeという言葉をしきりにかけてもらった。(実はこの言葉の用法は未だよくわかっていない。)

口先だけの言葉ではなく、心のそこから言ってもらっている(と感じる)ので喜びもひとしおである。

嬉しかった。

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家主のご夫妻と共に過ごした2時間ほどは、人生相談の様相を呈していたものの、話題自体は多岐にわたっていた。

いろいろな職場を渡り歩いていらした方なので、出張でいらっしゃるような、いわゆる「純粋培養」の従業員の方とはものの見方が違うように感じられる。

以前イグアスへ旅行に行ったとき、ある月曜日に突然直接の上司と社長の二人だけに了解をとって、会社を飛び出したということがあった。

この方は人事部長なので、後日「事前に言ってくれないと給料やらないぞ!」とやんわりと叱られた。

しかしこの日の会話の中で、ふとした拍子にこの話題があがったときの言葉は思いもよらないものであった。

曰く「あの話を聞いたときは、”よくぞ、やった”と思った」とのこと。

「次はシチリアの地に行きたい」とおっしゃるこの方に、この日、中世ヨーロッパを題材にした歴史漫画を貸していただいた。


2010年12月12日日曜日

A better job wanted !

自分が応援したいと思っていて、かつ、これから順風満帆に進んでいくだろうと思っていた人が泣きそうになっている状況で、それをただ見守ることしかない時ほど無力さを感じることはないだろう。

我がポルトガル語の先生のうちの無料でやってもらっている方は、東京の某私立大学へ留学に行くことが決まっていた。それを聞いたのが先週の事。

ところが今日顔を合わせた直後の第一声は「人生が逆さまになっちゃいそう(筆者意訳)」というものだった。

問題の根源は授業料が以前よりも値上がりしているのを突然知らされたことにあり、結果、想定よりもスムーズにことが運ばなくなったために茫然としている様子だった。

もともと自虐ネタを頻繁に口走る人なのだが、今日の授業ではあまり洒落になっていなかった。

2時間の授業の後に昼食を一緒に摂ったが、そこでもその話が中心だった。

いろいろ言葉を交わし、食後のデザート(Iogurte com framboesa!)も食べたので、少しは落ち着いたように見えた瞬間は大分ほっとしたものである。

とはいえ、「いいことあるさ、元気出そうよ!」みたいなことしか言えなかった自分の限界を感じたのも確かである。

どうやら、ここサンパウロで就いていた仕事の待遇があまりよくなかったが故の今回の出来事らしい。

その仕事もサンパウロ大学文学部日本文学専攻、東京の某有名私立大学での留学、それらの経験に基づく日本語運用能力を活かせると思っての選択だったのだそうだ。

その事実を聞いて、再びえも言われぬ切なさが積もる。

これほど賢い人が、しかも一応はその強みが活かせるからという理由で採用されたはずなのに、そんな羽目に陥らなければならないほどの給料で働かされるとは、と憤りすら感じたほどである。

今は、祈ることしかできない。

2010年12月11日土曜日

研修終了

僕のではなく、同じ顧客情報管理の仕事をしてくれていた中国人研修生の、である。

一昨日が最終日だった。

仕事としては、自分が担当していた3種類の月次報告書の作成を任せた。

9月末からの非常に短い期間だったこともあり、一つの歯車として手伝ってもらったという以上の真実は無いのではないかと思われる。

組織の中で自分で考えてアクションを起こせるようになるためには一定の時間が必要であり、「自分で考えてアクションを起こす」ためには割り振られた責任範囲を全うするためのロジックを体得する必要がある。

もちろん、マニュアルに基づいて求められたアウトプットを忠実に積み重ねていくことも大切であり、時間がない場合はそうすることが最優先事項であるが、それだけでは歯車としての存在価値しか発揮できない。

特に専門も無く短期間の研修に身を投じるということは、そうした期待値の基に働くということを受け容れるということだ。

よほど仕事の内容と自分のそれまでの経験が結びついていないと短期間での仕事は難しいということだろう。

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個人的経験に則れば、多少時間がかかってでもいいから、ゼロから試行錯誤して求められるアウトプットを形にするのが最善なのだろうと思う。

責任範囲の中で最低一つはそういう経験を持つことが出来れば、それを応用できるだろうし、自信もつく。

思い返せば、構想以外に何も無かったところに情報を残すための形式を作ったという我が研修は、まさにそうした道のりであったし、「構想以外に何も無かった」という前提条件を大義名分として試行錯誤するための時間を与えられたように思う。

試行錯誤というのは、要は「遊ぶ」時間のことである。

メーカーで言えば研究開発部門とでも喩えられよう。採算をある程度度外視して投資するからだ。

月次報告書を作るといっても3つのうち2つは僕がこの会社に来てからデータを回収し始めたので、したがってその2つの報告書については上司たちに相談しながらゼロから形にしていった。

そして僕の場合はエクセルを用いた試行錯誤。見えやすい形式、わかりやすい情報要約、そもそも数字をどうまとめるかなどなど。

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改めて、上記を踏まえて、仕事或いは組織を引き継ぐ際にはどうしたらいいのかという問いについて考えてみたい。

一番コストがかかるものの、学習効果が高いという意味では、何もない状態で試行錯誤させ、ゆっくり形にしていくというのが理想だろう。

しかしそういう形で事を為すには何が何でも自分でやってやるという進取の気性とでも言えるような心持が必要である。

ところが人間誰しもがそんなメンタリティをもっているわけではないし、特に会社という組織にはむしろそんなものが不要である局面も多くあるのだと思われる。

では、どうしたらいいのかというところだが、仕事の一通りの流れと期待されるアウトプットのイメージを残して後継に任せる、といった辺りが落とし所なのだと思う。

途中の経過を如何に処理するかは個々人の段取りの方法があると思うし、手取り足取り教えても一方的になんやかんや言ったところで本人が体得するとは限らない。

アウトプットのイメージを示す以外は基本的に丸投げして試行錯誤させ、質問されたら応えるというのが、こなすべきオペレーションも消化できるし、本人のためにもなるだろう。


2010年12月9日木曜日

ごちそうさまでした

昨日は某社「業務部」の方に夕飯をおごっていただいた。

業務部というと会社によって全く事業領域が異なるのであろうが、昨日伺ったお話はこんなことまでやるのかといった驚きと共に印象に残っている。

加えて我が父親に程近い年齢の先方は、(途中で自主退職した父と違って)会社という組織の中で相当なキャリアを積んでいらっしゃった。

数年前に丸の内近辺での官民(学)合同の勉強会に参加されていたとのことで、生涯勉強とはこういうことを言うのだなぁとも思った。

そんな方とじっくりお話しさせていただく機会を持てたのは、ありがたい限りであった。

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果たして自分の目標達成のために周囲の評価など気にせず邁進するのか、或いは周囲の評価を基底に置きつつ目標達成のための最善策を追求するのか。

少なくとも今の自分に言えることは、このブラジルでの生活を通じてどんな国に行っても最低限生きていけるイメージは描けるようになったのではないかという事である。

さらに先方から投げられたボールを自分なりにキャッチして投げ返すことが出来ていたのではないかと思う。

まだ研修が終わったわけではないが、今回のブラジルでの研修の機会に身を投じることが出来てよかったと思えた、そんな夜だった。


追記:東山農場に行こうか行くまいか思案中。残り少ない時間がネック。最悪、会社を一日だけ休ませてもらうという選択肢も視野に入れる。

追記その2:「もらう」ばっかりであることは予め想定出来ていたので、我が研修先のパンフレットと研修をコーディネートしてくれた団体のアニュアルを差し上げた。効果は不明。

Panasonicの商品命名法につき。

ポルトガル語の動詞の活用と思われるのでメモ。

Diga: dizer

Viera: vir

2010年12月5日日曜日

Volta ao Japão

つい先日、帰国日が決まった。確か社長さんが日本に出張される日の前日の夜。

サンパウロを発つのが2月8日、成田に着くのは2月10日。

2月の上旬という以上は、特に根拠もなく決めた日程であるが、致し方ない。

帰国後の時間の使い方よりも前に帰国前の時間の使い方に頭を使いたいところだが、ひとまず日本の生活に順応するための時間である。

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ここ1・2週間、帰国しなければならないという事実が急激に身に迫って感じられるようになってきた。

期待半分、不安半分というような感覚。

仕事にしろ、生活にしろ、同僚にしろ、友人にしろ、「さよなら」を言わなければならない。

Liberdadeに行くこともあと何回あるのかと考えると、最初は単に友達と夕飯を食べるという約束だけだったとしてももっと他にやっておきたいことがあったのではないかと勘繰ってしまう。

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"Be Brasil. Be Green."とは、実は我が研修先の非公式?キャッチフレーズであるが、このブログではトップロゴの一部として勝手に拝借させていただいている。理由は黒地に黄緑色のフォントが映えて格好いいからというだけ。

今になって振り返ってハッキリ言えるのは、特に"Be Brasil."に表されるような「現地化」を意識して来たわけではないということである。

もちろんポルトガル語を勉強してきたのは現地の人とのコミュニケーション図りたいという気持ちがあったからであり、その意味で現地化を指向していると言えなくもない。

しかし、職場においても自分は日本人であったし、会社の外においてもポルトガル語しか話せない友達はいないと言っても過言ではない。

仲良くさせてもらっているのは、英語か日本語が話せる人達である。

日系ブラジル人たちと話すときもどこかブラジル人として見ているところがあるのだろう。

では、現地化ではなく何をしたのかという話になる。

しかしその問いに答えるには、もうしばらく時間がかかりそうだ。

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サンパウロは、日中30℃を超すかと思いきや、日暮れ時間近になると夕立が降るという季節になってきました。

2010年12月4日土曜日

My job

主に顧客情報管理に携わってきたわけだが、そろそろ引継ぎの時期に差し掛かっている。

そこで現状を整理してみようと思う。

1.顧客プロファイル・サービス満足度・製品満足度の各々の調査の月次報告書作成
→主たる仕事。最近は中国人研修生に実動を任せ、チェックに回っていた。彼女も自分も近々研修を終える予定なので今月を目途に周囲へ引き継ぐ。自力で一通り作ってもらい、わからない部分を随時聞いてもらうという形でやれば自分が抜けた後も円滑に回っていくはず。

2.上記顧客調査の回答率向上策
→詳細を見ればいろいろあるが、現在は回答インセンティブ設定という手段を実装する段階。真の意味で結果が表れてくるのには時間がかかるはずなので、しっかり引き継ぎたい。他に我が研修期間中に出来ることがあるとしたら、ディーラーによる顧客の基礎情報(連絡先等)の登録率の可視化くらいであろう。これはシステムプログラミングの外注先の仕事の速さ的に今月前半の間に可視化のためのツールのテンプレートを共有した方がいいだろう。

3.週次で作成していた販促キャンペーン申込者のプロファイル報告書
→12月3日付でキャンペーンへの申込が締め切られた。今週分を最後に、もう作成の必要はない。加えてCRMの上司にノウハウを引き継ぐかは彼女の時間的キャパシティという意味で微妙なところ。

4.在外拠点からの出張者の方々へのアテンド準備
→11月の末にもアテンドがあったが、1月頭にもアテンドの予定が入っている。しかも同時に2組。アテンドの対象が「調査」であるため、質問票の翻訳やサンプル招聘のための準備、「調査」の場のセッティングなどを上司の手足となって手伝える部分を手伝う。そういえば日本との交信係という「大役」も担っている。問題はその上司の方が今度の月曜から2週間ほど休暇を取るということであるが、本人は休暇の間もメールは見るとおっしゃっており、支障をきたすことはなさそうである。いやはや、お疲れ様です。

5.その他社長さんから直接頼まれている仕事
→季節指標を更新する・設定し直すということなのだが、指標作成のための市場データの取りまとめてもらうところから始めなければならない。市場実績データの取りまとめはもう一人の研修生が主たる仕事としているところなので、彼の仕事を待った後、取り掛かる。W杯やらカーニバルやら購買行動に影響を及ぼすと考えられるイベントが多いことが背景。

おおざっぱにいうとこんなところだろうか。1についてはエグゼクティブサマリーに匹敵する資料を作るという大仕事があるが、果たしてできるかどうか疑問符が付くところである。自分の中で未だ踏ん切り(≒「えいやっ」と仕事を済ませてしまう勢い)がついていないので、もう少し自分の中で発酵させてみたい。

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しかしこうして振り返ると自分がこの会社でやってきたことがどれだけ役に立つのか、どれだけ意味のあることだったのか胸を張って言いきることが出来ないのが怖い。

研修を始めてから度々社長さんから直接お話を伺ってきた。参考図書と称して本まで貸していただいた。

その社長さんの構想からすると自分がやってきたことは意味があることは確かなのだが、なんとちっぽけなことか。

11月末の日本からの出張者の方々へのアテンドの際だったか、社長さんが我がマーケティング部を評して「うちのマーケティング部は、まだ20点くらい」とおっしゃっていた。

そして自分の頭の中でも実感として「こんなに時間がかかるものなのか」という気がしている。

バトンはしっかり渡したい。

一方、本来の自分の仕事ではないところで評価されることがあるのだから世の中、不思議である。

具体的に言えば季節指標の作成についてである。

自分がやったことは、ググって季節指標設定のセオリーをフォローした、というだけなのだが、それでも「ズレが少ない」と言っていただいており非常に嬉しい。

どうやら例え四則演算だけを用いた演算でも、そのロジックをきちんと再現できるかどうかというのは重要なことらしい。

どんなに難しい問題を解くよりも、簡単な問題をどんどん解決していく方が偉いという意味で「会社は学校じゃない」とは社長さんのお言葉である。

逆にその「簡単な」問いを立てて解決方法を的確に当てはめる力というのが重要なのだろう。

ポルトガル語と日本語と私

週2でやっていたはずのポルトガル語教室も、突然旅行に出かけたり、ものすごい下痢に見舞われて体調を崩したりと、最近はなかなか捗っていない。

それぞれ別の先生に習っているわけだが、どうやらサンパウロ大学の文学部出身という点で共通しているらしい。

しかし一方はプロでポルトガル語と英語、もう一方はプロではないが日本語と英語とポルトガル語(僕との会話における使用頻度実績順)、といった点で大きな違いがある。

いずれにせよ、ブラジルで大卒なんて1割もおらず、その上サンパウロ大学といったらブラジル最初の大学であるからして名門の出である。

いや、ここで言いたいのはそういうことではなく、日本語を教えるのは難しいということであり、またポルトガル語も細かい文法のみならず、豊富な語彙等々、大きな壁として立ちはだかっているということである。

プロではない方の「先生」に対しては、ポルトガル語を教えてもらう代わりに日本語を教えるという、一種の共生関係にある。

ところが日本語について一緒に勉強しているときに「なぜ」と聞かれるとついつい詰まってしまうことが多い。

特に最近は敬語の説明に力を入れている。

敬語の原則を説明するのに、錆ついた古文解釈のための知識を動員するなど試みている。

常日頃自分が何げなく使っている言葉が「何故」そうなるのか説明するのは難しい。

それでもなんとか実例を駆使したり、彼女が持っている電子辞書に頼ったりしながらこなしているが、もう少しすんなり説明したいところである。

プロの方の先生にも日本語とポルトガル語の違いを説明するように求められたことがあり、正直説明に窮した。

向こうがポルトガル語の文を翻訳するとどうなるか、と問いを簡易化してくれたので何とか伝わったものと思われるが、動詞(verbo)と助動詞(auxiliar)と前置詞(preposição)の順番(ordem)が全然違う(muito diferente)とまとめるのが精いっぱいだった。

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しかし思い返してみるとこんなことをブラジルに来てやるとは思っていなかったし、でも、こうした水準の会話を楽しく交わすことできる相手に巡り合えたのは嬉しいことだなと考えざるを得ないのである。

Dezembro

もう12月、ここサンパウロの街中もクリスマス気分でいっぱいだ。

というか、こういう部分ではここまで頑張るのね、と正直、驚きを隠せない。

加えてこんな暑い中のクリスマスなんてどう過ごすのか見当もつかない。

クリスマスは海辺で過ごすのがブラジリアンスタイル、と友達が言っていたような気もするが、クリスマスイブとその1週間後は午後が休みなるくらいで普通に勤務する予定なのだから八方塞がり、といったところだろうか。

それにしても街中に時々いるサンタさんの人形たちは、見るだけでも暑苦しい格好をしている。

野ざらしになっているので、カビが生えちゃうんじゃないかなと心配です。

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それはさておき、我が研修ももうすぐ残り1ヶ月。

残りの時間を如何に使おうか焦っても仕方ないと自分に言い聞かせつつも、否が応でも時間が過ぎ去っていく。

幸い仕事の方は、年末年始関係なく、むしろ普段より一層山積している。

例えば年初に取り掛かればいいと言われていた仕事が何故か1ヶ月ほど前倒しにされるとか。

或いは1月上旬の日本からの出張者の方々のお手伝いの準備をしなければならないのに、その面での上司が来週の月曜から休暇に入るとか。

サンパウロにいる他の研修生たちもそろそろ帰国だそうで、来週のFarewell partyには顔を出そうかなと思う今日この頃。。。


2010年11月24日水曜日

Foz do Iguaçu

行ってきました、イグアスの滝。

ブラジルはサンパウロの南にパラナ州の・アルゼンチンにまたがっていて、近くにはパラグアイも含めた3カ国の国境があるところ。

土日の間に同居人たちとの話が盛り上がり、この機会を逃したらもう次はない気がしたので、急遽予定を変更して月曜から水曜日までの3日間の休暇をいただいて行ってきた。

研修先の皆さまにはご迷惑をおかけいたしましたm(_ _)m


16時間かけて長距離バスで片道1000kmの移動。


【2015/05/06 追記】書きかけだが、当時を思い出す際の足がかりの意味を踏まえ、公開することにした。

2010年11月21日日曜日

Turistas no Kagoshima do Brasil

ブラジル鹿児島県人会館に引っ越してからはや1ヶ月。

バックパッカー用の4人部屋に住んでいるので、旅人との接触機会がある。

4つの枠のうち、自分を含め2人は中長期滞在のため、残りの2枠にバックパッカーが転がり込んでくる。

感覚的には週に1回は新しい人たちが入るといった感じである。

旅人達とは、その「旅先」でしかお目にかかれないものである。

そしてここサンパウロは、その旅先の一つであるらしい。

何故旅に出たのか、出る前は何をしていたのか等々、話を聞かせてもらえるのが面白い。


下記ブログはそんな一人が書いているもの。

http://ameblo.jp/yukotrip


ひとまず、明日は彼・彼女らと日帰りでSantosに行ってきます!

2010年11月15日月曜日

FEA USP again

In the last week, I visited the faculty twice: the Faculty of Economics and Administration, the University of São Paulo.

The first one is what I wrote about in the previous article.

Then, second one on the last Friday.

It was an event to show what AIESEC USP did to their partners.

The company I am working for decided to send two people, my boss and me.

First, the president, a girl, made a presentation about AIESEC.

And after that, three Brazilian ex-trainees made their presentations.

Then, we took light dinner in front of the auditorium.

The boss and I were speaking something about AIESEC.

But nobody got close to us.

I thought that they were just hesitating like a usual student. But it was not true.

They hesitated because we talked in Japanese.

Because of this, they didn't see my boss as a Brazilian.

I noticed after two of AIESEC USP dared to speak with him.

When they got started talking, they looked a little bit shy.

It was my mistake. But these two girls opened the door FELIZMENTE.


I learnt from this happening: even here in Brazil, a country of diverse immigrants, they cannot see at once what kind of person he/she is.

Global Village in FEA, USP

It was on the last Tuesday.

After I got out of the office, I turned to the subway station to get to FEA, USP via Clínicas station.

As usual, the bus trip from Clínicas was tough. It was too hot inside the bus...

Well, after I arrived at the faculty, I made a preparation: put on my computer to show images and movies about Japan.

I had come to join an AIESEC event called Global Village, which is one of the series of events in that week.

Generally, it was not so big, but it was good to exchange something with the people there.

From my point, it was surprising to see a Brazilian guy, which didn't look a Japanese descendant but spoke really nice Japanese.

In fact, he studied at one of "the Imperial Universities" there in Fukuoka for more than four years.

I asked why he went to Japan and finished his first undergraduate degree.

Then, he answered there were many friends of Japanese descendants around him.

I thought I knew that the presence of Japanese descendants' community were really big here in Brazil.

But now I have realized it is more than I expected.

I should know more about the history of Japanese descendants in Brazil....

2010年11月14日日曜日

14 de Novembro, 2010

もう11月も半ばである。

研修終了予定の1月中旬まで残り2ヶ月。

その後はアルゼンチンやらチリにでも2~3週間くらいの行程で足を伸ばしてみようと思っている。


▼仕事

仕事の方はと言えば、マーケティング部が企画主体となって実施している販促活動関連での仕事が多い。

一方、もともとの仕事である顧客アンケートの改善についても、プログラム実装の外注先がようやく成果物を提出してくれた。

社長さんに「こうしてほしい」と言われたのはかなり前の話なのだが、それが形になるためには、研修生という立場からすると、非常に時間がかかる。

とはいえ、自分のやってきたことが形になっているのは嬉しさこそあれ、嫌な気持ちはしないものである。

最後の2ヶ月は顧客アンケートそのものに関する、社長からのアサインメントの最後の一つを形にするとともに、幾つか社外とのプロジェクトがあるのでそちらの業務遂行を円滑にこなす。


▼ポルトガル語

せっかく非英語圏に身を置いているのでポルトガル語学習に手を出している。

しかし受験英語の方法論を適用しているので、喋りの方はなかなかうまくならない。

この課題は、帰国後に如何にブラジル人と話す機会をもつか、という点にかかってくるだろう。

ブラジル人を日本に呼ぶ、或いは日本にいるブラジル人に会う、これらは帰国後にやってみたいことだ。


▼旅

今までを振り返ると、マーケティング部の仕事に同行という形で連れて行ってもらったマナウス以外は、サンパウロ、しかも大サンパウロ都市圏のほんの一部、しか知らない。

冒頭に触れたブラジル近隣諸国への旅とは別で、最後の最後でどこかに行っておこうと画策中。。。

サンパウロ州のどこかか、或いは近隣州の主要都市になる見込み。


そういえば同じ「旅」という意味では、帰国の日取りを実はまだ決めていない。

いや、実際には12月末の帰国便の航空券はあるものの、周囲には帰国予定日を遅らせると言っているのに、航空券自体を変更していない。

今週中にやります。


▼ブラジル人との交流

以前、ここで書いた通り、「知日派」非日系ブラジル人が何故日本に興味を持つようになったのか、気になっている。

自分の中にある、この興味を形にしてみようかなと考えている。

ヒントになるのは「移民」の存在のはずだと仮説を立てているが、その奥に何があるのかは聞いてみないとわからない。

ひとまず、自分も日系ブラジル移民についてより深く知る必要がある。



2010年11月10日水曜日

O pessoal verde - Palmeiras

今日は水曜日である。

夕食を外で済ませて地下鉄に乗り、帰路につく。

前に立ってるお姉さん背が高いなぁとか思いながら、Clínicasの駅で下車をすると何だか様子が変だった。

気がつけば、緑のユニフォームレプリカをまとった集団が一度にドバッと降りたのである。

そしてエスカレーターで改札階へ上がり、さらに改札を出たのちに地上階へ上がる。

地上に出てしまえば、徒歩5分ほどかかるとはいえ角を一回左に入るだけなのだが。。。

終始、何やら騒がしい”緑の人たち”と一緒であった。

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しかしWeekdaysのど真ん中だというのに、大層な盛り上がりようである。

これがサッカー大国たる所以かと納得すると同時に、彼らの明日の生活を想うと首をかしげざるを得ない。

前回この”緑の人たち”と遭遇したのは、ある日曜夕方にチームが宿敵Corinthiansに負けて地下鉄駅に戻る途中だったため至極静かだった。

しかし今日は違う。

角の脇のLanchonete(街中の安めの食堂)は試合前のテンションが高い連中であふれかえっていた。

また今日は天気が不安定なため、雨合羽を売る人々も結構いた。

うーん、今日は勝てるといいね。

2010年11月7日日曜日

Tá frio... - サンパウロの天気

ここサンパウロでは、寒さが戻りつつある。というか、来るはずの「夏」が未だ来ない。

こちらの人の服装を見ていると20℃を下回れば「寒い」の区分に入るようである。分厚めの長袖の人が増える。

日本の1月や2月の寒さに比べれば何ともないが、確かに日中20℃を平気で上回ることを考えれば肌寒く、1枚くらいは羽織った方がいい。

Googleさんの表示では、現在(24pm 06/11/2010)の天気と短期予報は以下の通り。


サンパウロ - サン・パウロ, ブラジル の天気情報


17°C
現在: 晴れ
風: 東 3 km/h

激しい風雨の可能性
26°C | 13°C

晴れ
27°C | 15°C

雨の可能性
30°C | 17°C

激しい風雨の可能性
32°C | 16°C













昨日(金曜日)の昼間は30℃まで到達していたし、南半球にある以上はこれから「夏」が来るはずなのだが、昨日の晩から今日にかけて雨が降ったこともあり15℃以下まで冷え込んでいる。

一方でこちらの「冬」、すなわち7月から8月にかけてはどうだったかというと、最低気温が10℃を下回ったの期間は5日もなかった。

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サンパウロは標高約800メートルに位置しており、日本でよくあるブラジル的イメージの熱帯気候がサンパウロにもあるなどとは到底考えてはいけない。

熱帯雨林気候はもっと北の地域での話のはずである。

確かに3日間だけ工場訪問で滞在したアマゾンのマナウスは、蒸し暑く、東京の8月の終わりと似たような天候が年中続いているようだった。

しかしサンパウロは違う。

今日のように寒暖の差が激しいことについて、新聞曰く「uma verdadeira montanha russa climática(真の気候的ジェットコースター)」とのこと。

そして恐らく日本の23倍の国土面積を誇るこの国には、行ってみないと想像すらできないような多様性が湛えられているのだろう。


・・・つべこべ言わずに、はやく夏になってほしいです。

2010年11月5日金曜日

地下鉄 - Metrô na Cidade São Paulo


通勤には地下鉄を使っている。


1980年前後に始まったらしいサンパウロの地下鉄は、他の公共交通手段に比べるとだいぶしっかりしている。

まず、当たり前だが行き先が明確にわかる。

バスだったらそうはいかない。日本人だからというわけではなくて、皆運転手にそのバスが自分の行きたいところで停まるか質問している。

それに比べると、電車は路線図以外の所にはいかないからわかりやすい、というわけ。

(ちなみにその時止まった駅がどこなのかは構内表示という意味でわかりにくい。)

次に、運転間隔が比較的短い。

路線によるのだろうが、経験上、バスに乗るために非常に長い間待たなければならない。

その点、3分から5分前後で次の列車が来る地下鉄は気が楽である。

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通勤で使っているのは、パウリスタ通りの下を走る緑色の地下鉄。

サンパウロ大学の医学部病院を始め病院がいくつかがあるClínicas駅からパウリスタ通り中ほどにあるBrigadeiro駅までの3駅、10分弱。

この距離を徒歩で行くことも可能なのだが、時間的にも体力的にも地下鉄を使った方がだいぶ楽である。

この緑の地下鉄は、3本に2本くらいの割合で比較的新しい列車が走っている。

一番嬉しいのは、次の停車駅を告げる車内アナウンスが録音であること。

個人差が大きい運転手さんたちの声に比べて、ハッキリとしたアクセントと発音で聞こえやすい。

「Próxima estação, Paraiso. Acesso à Linha um azul....」というアナウンスが一番のお気に入りです。

年末年始

今日の終業間際、ふと気になって人事の方に年末年始の勤務日程を伺った。

返答は「24日(金)と31日(金)が半日になるよ!」とのこと。



・・・12月20日辺りで冬休みに入るなどという甘い考えが通用しないことを思い知らされた。



もともと年始はビジターへのアテンドが予定に入っていたのでさほど驚かなかったが、なんとも働きづめな会社である。

ブラジル人従業員たちはどういう顔をして会社に来るのだろうか。

或いは何を思ってこういう勤務体系になったのか。

疑問は尽きないので、社長さんが出張から帰ってきたら伺おうと思います。

Os brasileiros que conhecem o Japão

最近つるんでいるのは、知日派ブラジル人たち。

日系の人たちはただでさえ接触機会が多いので、むしろ非日系ブラジル人との交流を意識している。

家庭文化的には日本のことなんか触れることがないはずの彼らが、何故日本に興味を持つようになったのか、そこが知りたい。

夕食を一緒に食べたり、ポルトガル語を教えてもらったりしている。

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マネックスの松本さんが言うとおり、日本にいる状態でも「俯瞰する鳥の眼」まで昇華させるためにこうした「外の眼」を取り込む機会を持ちたい。

2010年11月3日水曜日

Pacaembu

Já ouvi sons do estádio Pacaembu.

Agora são às vinte minutos a meia-noite....


もうこんな夜中だってのに歓声が聞こえてきます。。。
ひとまず、リハビリってことで。

2010年10月17日日曜日

引っ越しました

本日10月17日付けでもって完全に引っ越しを完了しました。

場所はPacaembuというサンパウロ市中心地に程近いのサッカースタジオ近くの某県人会館です。


2010年10月16日土曜日

O aniversário de aluguém

我が社では、勤務日でかつ、従業員の誕生日の日には、ケーキと飲み物とともに事務所全体でお祝いをすることが慣例になっている。

昨日はなんと社長さんの誕生日。

普段よりケーキが豪華な気がした(フルーツの量!)が、それは今月誕生日を迎える人が一人しかいないからだということにしておこう。

いつものように人がぞろぞろ会議室に押し寄せ、またケーキがセッティングされる。その後、誕生日の人の登場とともにハッピーバースデイの歌のポルトガル語バージョンを皆で歌う。

そこからはただただケーキを食べながらひと時の談話の時間となる。。。


ここまでは、我が研修先でのほほえましい情景に過ぎないのだが、困ってしまうのはここからである。


ケーキが余っていると有言無言の「若い人たちはしっかり食べようね」という圧力が日本人駐在員の方々から強く感じられるようになる。いわゆる残飯処理を拝命することになる。

しかし、ただでさえ甘い(が故に”重い”)ケーキをカットされているからといって何皿も食べられるわけではない。

そこを無理して摂取したものだから、昨日は一瞬めまいがしたほどだった。

昨日は金曜日だったのでHappy Hourと称する仕事の後の飲み会にも参加したが、一通り飲んで時間が経ってもなお、腹部にその存在を感じさせる糖分の塊には苦笑せざるを得ず。

ブラジル人の味覚を基に作られたものと日本人の食べ物を大切にする精神とが相俟っての悲哀。


普段の食後は果物を食べるだけで十分です。


2010年10月15日金曜日

How to drink tequila

1. Cut a lime into smaller size

2. Pour tequila in a little cup

3. Put some salt on the back of the hand

4. Lick out the salt on your hand

5. Suck the lemon

6. Drink out the tequila

That's all!

2010年10月10日日曜日

22 weeks: Lápis lazuli

5月中旬にこちらに来てから、もうすぐ5カ月。はやいはやい。

振りかえる間もなく時間だけが過ぎて行ってしまう感覚。

それはここブラジルに来たから変わるものではないのだろう。

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▼仕事

明日は日本本社から取締役の方がいらっしゃる。

社内でも回覧板?で当日の身なり等粗相のないように、とのお達し。

日本から出張の方がいらっしゃると感じる日系企業らしさ。

当社を取り巻く現状報告のプレゼンの一部を任されているので身が引き締まる。今日は早く寝ます。


それはさておき、自分に与えられている仕事が会社の将来においてどういう意味を持つのか、想像出来るようになってきた。

また今の自分がやっていることにどれだけの労力が必要なのか、どれだけ時間がかかるのかわかるようになった。

慣れたということではあるけれど、逆に言えば中だるみの時期だという危機感もある。

はて、今少し本を読むなり会社の方に相談するなりする必要がありそうだ。


▼生活

ポル語のプライベートレッスンを週2で取り始め、現地化という意味では着実に歩みを進めつつある。

でも、それが究極的にやりたいことだったんだっけ?

残り3カ月ほどの期間で何をするのか考え直す必要あり。


ブラジルでしかできないことやりきってから帰ってきてね!」という友の言葉への応えに窮してしまう今日この頃。。。

引っ越しを機に今一度しっかり考え直したい。


Mudança / 引っ越し

もうすぐ引っ越します、というお話。

引っ越し先は会社から地下鉄で3駅いったところから程近い、某県人会館。

日本語で生活できてしまうというのはリスクであるけれど、何分料金が現在の住居の半額近くになるので俄然好物件でした。

料金が低い分だけ、旅行者用の4人用相部屋となるが致し方ない。

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9月の上旬に電話で予約の後、さる金曜日に直接赴いて管理人さんと顔合わせ&鍵の受けとりをした。

いわく旅行者用の相部屋とはいえ、既に長期滞在の人たちで埋まっているとのこと。

なかなかおもしろそうである。

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ひとまず、これからの季節(夏!)はなるべく地下鉄を使わずに徒歩で通勤したいところ。

今度の土曜日に引っ越します。

2010年10月3日日曜日

手紙

この2週間ほどの間、数通の手紙が日本から届きました。

8月頭に送った暑中見舞いへのお返しということですが、数通とはいえ、手書きのメッセージが届くのは嬉しいものです。

送っていただいた方々、ありがとうございました。

僕はもう少し、こちらでexploreしたいと思います。

2010年9月30日木曜日

4 people from the mother company

No momento, ontem e hoje, teve quatro pessoas da empresa no Japão.

É muito interessante porque tenho conversando sobre muintas coisas com eles.

・・・今日のポルトガル語はこの辺で。

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ここ二日の間、研修先企業が空前の盛況を呈していた。日本からのビジターが多いという意味で。

同時に4人というのは、この会社が出来てから初めてのことらしい。

例えば顧客サービスやシステム開発といった感じでそれぞれの方の専門が異なり、また年齢も役職も様々であるため、お話をさせていただくだけでも楽しい日々が続いている。

昨日は社長さんのおごりによる昼食に同行させていただいたし(無断でついていったので社長さんにどつかれた 笑)、今日も仕事の関連で同じ部門の別の販売会社(略して”ハンシャ”というらしい)での事例についてヒアリングさせていただき、機会に恵まれていたと思う。

事業領域の性質上、確かにグループ企業体の中でも特に海外支店が多い部門の会社であるのだが、ここにきてそうした特質、つまり日本の外にどんどん人を派遣するということを身をもって体験するとは思っていなかった。

ただ、業種など個別具体的な要素は無視して、いま自分がやっている仕事とそれに付随する成長のサイクルの延長線上に彼らの姿があるとしたら、本当にそれは自分がやりたいことなのか、情熱をかけてやりたいことなのか、ということは考えなければならないと思う。

面白そうなのは間違いないが、以上、流されがちな自分への戒めとして。

2010年9月26日日曜日

Election in AIESEC USP

昨日は、AIESEC USPの次年度の委員長を決める選挙プログラムに参加。

残念ながら全てポルトガル語で執り行われた上に、英語に通訳してくれる人などはいなかったので、議論の内容や選出プロセスの詳細については把握できず。

委員会で活動しているわけではないので当然選挙権は有していないが、上記2点についてはヒアリングしてみたい。その上で「選出プロセス」については改めて記す予定。

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もうひとつ、昨日面白かったのはAIESECを通じて日本で研修したやつとの会話。

選挙プログラムの後のBBQから夕飯まで終始話していた。(BBQに彼を誘ったのは僕。)

「日本語話すのは久しぶり」と言いつつ、「あぁ、なるほどね!」という相槌が打てる彼は、そんじょそこらの日系人よりはだいぶ日本語がうまかった。とはいえ、全ての会話のうち英語も30%くらいは話していた。

話のネタは、食生活(みそ汁が好物!)、女性観から研修中の出来事(例えば上司との関係)、そして両国の歴史など多岐にわたった。

また、会社の中で携帯電話がかかってきたら、少しの間、デスクを離れて邪魔にならないように話すべき、と主張していた彼はJapanizeされているといっても過言ではなかろう。

2010年の最初の6か月を日本は仙台で過ごした「知日派」とのやりとりは、我が故郷に思いを馳せるには十分すぎる程、刺激的だった。

2010年9月19日日曜日

4 months passed

It's been 4 months since I came to São Paulo, Brazil.

I have done some things but for now I cannot figure out completely.

On the other hand, I think I am not going a wrong way.

I need to keep thinking on what I can do for the people around me...

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昨日はAIESEC USPの人材戦略部(TM)と研修生受け入れ事業部(ICX)の共催によるAIESEC Dayなる企画に参加して来た。

企画趣旨は、AIESECのことをあまり知らない研修生にAIESECのことを知ってもらい、AIESECにもっと巻き込む(あわよくばメンバーと同等の活動をしてもらう、そうじゃなくてもアイディアを出してもらう:頭脳を使わせてもらう)きっかけにしようというもの。僕は研修生の中の唯一のAIESEC活動経験者ということで自分の体験を具体例として共有してほしいと頼まれていた。

パウリスタ通り近くのメンバーのシェアハウス(アパートの一室)で行われた。

参加者はUSPのメンバー数名に加えて、カナダ人の女の子研修生2人、ポルトガル人研修生が男女1人ずつ、エジプト人の男子研修生が1人、日本人の僕が1人、といった顔ぶれ。

・軽く自己紹介:出身国・研修先・ブラジルで感じたこと
・自分たち研修生が何で研修に参加したのかを共有
・AIESECの歴史・Vision・Mission・アプローチの確認:それぞれ何故そうなっているか見方を共有
・AIESEC USPの現状(他の研修生、内部組織、研修生受入事業部)について共有
・AIESECの研修を通じて何を達成したいか、ワークシートを埋めるというまとめ

コンテンツは上記のような感じで、朝から晩までやっていた。以下、印象に残っていることをいくつか。


・動画をちょいちょい使っていた

だいたい他委員会など外部作成のものであったが、クォリティの高い動画を要所要所で使っていた。特に抽象的なメッセージを伝えたい場合にどこかのセミナーの様子を映した動画を使っていて、より説得的かつUnderstandableだった。また、たとえ言葉がわからなくても、眼を通じての知覚はメッセージ性が強いので有効。上手いと思った。


・セッションの進め方:非日本語(≒英語)での議論

特にAIESECの団体理念に関するセッションの進め方には目を見張るものがあった。まずファシリテーターの人材戦略部長(と書くと堅苦しいけど、明るい感じの女の子)が、スライドを一通り説明した後、例えばなぜその理念が必要であるかという質問を投げかける。それに研修生たちが思い思いの言葉を返し、まとめる(まとめない場合もある)。個人的には6つある価値観(Value)のうちの最後の一つである「Acting Sustainably」を何故掲げるのかというところでイニシアティブを発揮できた。複数人いる中で英語で議論する訓練になりました。


・AIESECの研修生の脳を使う

仕事をするという意味での「研修」だけがAIESECのInternational Internshipではないと思う。その意味で研修生を現地AIESECの活動に巻き込もうとする、今回の取り組みは非常に面白いものだった。AIESECの組織運営そのものに動員するためにはAIESEC特有の知識や愛着みたいなものを刷りこむ必要があるのでより高い障壁があるけれど、研修生の持っている知識をLCメンバーに共有してもらうということだけでもお互いにとって有益な機会になるのではなかろうか。とはいえ、それをするためにはお互いの人となり、そしてニーズを深い次元で知ることが求められる。現地AIESECの活躍に期待するだけでなく、自分でも頭をひねってみたいところ。

2010年9月18日土曜日

A series of meeting people

1. Segunda feira - Monday

I had a dinner with a person working for a Japanese "trading" company here in Brazil. He has a unique background because he had lived in São Paulo when he was a junior high school student. The stories based on his experience were really funny and interesting. Some of his stories let me think about education, Japan, and what I have to do in general: enjoy the life.

2. Terça feira - Tuesday

I went to USP to get my salary for August. And then, I talked with some students there. Now AIESEC USP is under the season of election. One girl was wondering if she was going to apply. The conversation with her reminded me of the experience I had, making me reflect on what I did.

3. Quarta feira - Wednesday

Another Japanese trainee arranged with an ex-colleague to go playing succor in São Caetano do Sul, one of the most comfortable cities in Brazil to live. The ex-colleague is a really nice guy and we enjoyed most. Thank you, Cristiano! 

For me, the station Sacomã for Linha 2 Verde (the green line) was amazing. It is really new and the platform is like that of Namboku line, a GREEN subway line in Tokyo.

4. Quinta feira - Thursday

The president and vice-president of the company took us to a really good Japanese bar, BUENO in Liberdade for a farewell of a Japanese trainee for another Japanese company. There was a lot of new information given by them. So I think the trainee was really lucky because there is hardly such an opportunity.

5. Sexta feira - Friday

Today I had two schedules: one was to meet with a person whom one of my neighbors introduced to me to teach Portuguese. The other was to take part in the farewell party of a Japanese trainee by AIESEC PUC. A lady who will be a kind of my Portuguese teacher was really nice because she likes Japan and knows more than the usual Japanese people. The classes will be exciting. For the latter one, that was my first time to see AIESEC PUC's people. 

A gente, estou com muito sono!!

2010年9月13日月曜日

Como fazer os pratos italianos

[Espaguete bolonhesa]

1. Heat the minced meat with oil.

2. Put in some canned tomato, laurel and minced garlic - these two additives are essential.

3. Boil the pasta.

4. Put them together on a dish.


[Salada verde italiano]

1. Cut some vegetables (Ex. Cabbage, italian tomatoes, etc).

2. Put them on a dish.

3. Put on some parmesan cheese (queijo parmesção).

4. Add vinegar of Barsamico.



It was not my original way to cook. I have to thank to my mother :P

Then, I am sure that with these recipes, restaurants in São Paulo will be much better than now!

2010年9月10日金曜日

A book on modern history of Brazil

去る土曜日に本を一冊読了。

ブラジル現代史の概説書。70年代に山川から出された本であるが、日系人の学者が書いていることもあり、図書館と労働時間の都合で毎週土曜の午前中にしか読めなかったけれど、なかなか楽しく読んだ。以下、メモを記す。





・「ラテン=アメリカ」は正統統治者を自称するイベリア勢やイギリスに対抗すべくフランスが初めに使った言葉。

・ブラジルが他のラテンアメリカ諸国と違ってその大きな版図を抱いたまま独立し、それを今日も維持しているのは独立がポルトガル皇子によって平和裡に成し遂げられたことが大きい。

・ブラジルは唯一欧州戦線へ派兵(他はメキシコは太平洋戦線へ派兵)したが、基本的に戦時中のラテンアメリカは食料と戦略物資の供給庫としての役割を担っていた。

・日本の敗戦は日系移民に帰国を断念させ、政府機関もしばらく存在しなかったため彼らの現地化を促した。

・「戦後の米州体制のものとで日本は、もはや敵視されることはなくなり、かつての軍事国家像は後退し、一九五〇年代後半になると日本はラテン=アメリカのどの国からも、その主権を侵すことのない好ましい国として見られるようになった。」

・「第一、皮膚の色で人種別資料を作ってもそれに何の意味があるのか、という疑問が提出され、結局一九六〇年の調査から人種別の項目が除外されてしまった。」

・「ブラジルの場合、植民地→独立・帝政→共和政樹立の過程では、スペイン系諸国と違って、断絶や不連続がないということである。政治体制は変化しても、それがそのまま社会体制の変化として投影していない。」

・当初の植民地制度としてのカピタニアは、サンヴィセンチとペルナンブコとでサトウキビ産業で成功しただけ。

・ブラジルの人種構成がアメリカ合衆国と異なるのは、植民地の安定化のための家族拡大という意図で混血が促進されたからだと言える。

・ナポレオンから逃れたポルトガル王室を後押ししたのはイギリス政府。

・王子ドン=ジョアンが近代化の萌芽をもたらした。USP法学部の前身の設立もこのころ。

・日本の明治維新の裏で行われていた三国同盟戦争はラプラタの民との接触を通じてブラジルに共和意識の萌芽をもたらした。

・コロネリズモ(地方における寡頭政)に基づき、19世紀からのコーヒー産業の盛況を享受していたミナスとサンパウロの二州が交互に大統領を輩出していた。

・その裏にあった暗黙の了解をCafe com Leite(おそらく「甘い」コーヒー牛乳の意)という。

・「その典型的な例がサンパウロであった、ここでは世界の各国からやってきた移民グループがそれぞれのお国柄によって、多様多彩な色づけをした、いわば文化のモザイク模様がある。」

・「一口にいえば、工業化や近代化は、基層文化の伝統を温存した地域ではおこらないで、コーヒー産業の新興地帯で芽生えたのであった。」

・コーヒー貴族の結束の終焉から1930年のバルガス革命へ。

・都市の中流市民やテネンティズモを巻き込んで成功した無血革命。その後、サンパウロ州のようにバルガスに反旗を翻す例もあった。

・独裁の15年:『ブラジルには大きな州も小さな州もない。あるのはブラジルという大国のみ。』

・クビチェック時代:『五十年を五年で』のスローガンで主幹道路整備やブラジリア遷都を達成。

・「もしナショナリズムという意識の形態が国家的なアイデンティティーを求めての闘争の手段であるとすれば、テネンティズモの流れこそそれに該当するものであろう。」

All you have to do is pour hot water and wait for three minutes...

1. Make a TALHARIM, a non-cup instant noodle, with a bit much hot water.

2. Eat what you make in #1.

3. Boil cabbage.

4. Boil the extra soup made in #1 with another pot.

5. Put rice.

6. Put parmesan cheese into the soup after a while.


Then, here comes a good risotto! =D

2010年9月7日火曜日

Holiday among weekdays

Now I can update because the access to the Internet in my house has got back.



Anyway, today it is a holiday celebrating the Independence of Brazil in 1822.

Compared with Japan, it was earlier in terms of the "Western Impact". Of course, Brasil was once governed by the Royal Family of Portugal and the Independence was declared by one of the Family but the history is not so simple, I guess... That's what I learned from a history book recently.

Well, today I was very happy because my name "Kentaro" was rightly recognized by a Starbucks' stuff. Last time when I went to another Starbucks, he didn't recognize but today as a photo below:

(In Brasil, you will be given a paper cup with your first name on it, if you ordered something to drink.)


今日は友人が我が部屋から引っ越した。近隣との若干のトラブルがあったものの、最小限に抑えられたと思われる。しかし、いざお別れとなるとなんだかSaudadeですね。Bom viagem!

ひとまず彼と一緒に行った近所のスタバは非常に居心地がよかった、というお話。

あ、ちなみに発した言葉を正しく認識してもらうためにはやはりアクセントが鍵。僕の場合、あえてカタカナ表記すると「ケィンタァロ」と言って今日の感動に至った。英語だと「タ」の音を強調してRをしっかり発音すればいいんだけど。英語だけが外国語ではないということですな。(偉そうなこと言ってますが、英語にポル語に頑張ります。。。)

Tchau!

2010年8月31日火曜日

Discovery Day with AIESEC USP

I took part in the Discovery Day of AIESEC USP in the last weekend.

This experience reminded me of what AIESEC is like.

It is really an emotional thing, but that is what it is all about, I guess.

I will see a little bit farther about how they do and what I can do for them.

(Session on what the event is for.)

(Introduction of Executive Board to the new comers)

(Session on mentorship: what can we do for the new comers?)

(at the end: 宴もたけなわ)



2010年8月27日金曜日

Soulful Japan

In this weekend, some Japanese AIESEC members are going to an event for new comers to AIESEC.

Some are going to that of AIESEC PUC and the others including me are going to that of AIESEC USP.

We are expected to present our home culture.

Then, one of my friends going to PUC asked me to download a movie on Japan and I found some.

Below is one of them:


What I have to say is that I need fresh Sashimi of the quality in Japan!!!!

刺身が食べたい!

(BGMは久石譲の作曲のようですが、定かではありません。)

2010年8月25日水曜日

シュハスカリアにて

今日は久しぶりに仕事が捗った。



そして全く脈略はないが、夜は社長さんと副社長さんが、サンパウロに来ているAIESEC関連の日本人学生を相手に一緒に食事をしてくださった。

なかなか盛り上がる。

仕事から生活、権力闘争のことなどなど、フィールドは多岐にわたる。

社長さんと副社長さんと学生だけの環境は初めてだったので、個人的にもいろんな話が聞けて面白かった。

非常に積極的に話をしてくださってありがたい限り。

ごちそうさまでした!!


追記:やはり、Caipirinhaはcom limãoがmaracujáよりおいしい気がする。副社長さんの言うとおり、Caipirinhaのカクテルセットは買って日本に持ち帰りたいと思う。

2010年8月21日土曜日

我らが公文ここにあり

平日毎朝、フリーペーパーの新聞を通勤の途中で1部もらうのが日課。

通勤の時間帯にパウリスタ通りで無償配布している新聞はいくつかあるのだが、Mêtro誌を毎朝もらっている。

そんな新聞にふと載っていた以下の広告。2010年8月19日付だっただろうか。


広告の真ん中より少し下にある青い文字を日本語訳すると「公文式: 世界中の子どもたちの、学ぶ喜びを育てます」といったところ。

僕が日本で公文にお世話になったのは幼稚園から小学校低学年ぐらいだったと記憶しているが、とても懐かしい感覚に襲われた。

教育が人をつくるというのは本当だと思う。

公文にお世話になったのは幼いころのことだったが、あのおばあちゃん先生のいる教室に通った経験が眼には見えない血肉になっていると思うと、その公文が日本の地球の裏側でも頑張っているのを知るだけでこみあげてくるものがある。

頑張ってもらいたいものである。


Livros em japonês

日本からAIESECのミッションがやってきた。


目的は日本人インターン生を受け入れてくれる企業を探し出すこと。

すなわち、営業活動である。

>>>

潜在顧客に対して何を売るのか、どこで、何時、どのようにメリットを見せて行くか。

単位顧客当たりの獲得コスト(※)算出は四則演算の組み合わせ、そして顧客に対する見せ方は心理学の積み重ねらしい、というのが最近学んでいることである。

(※1人の人間に自社商品を購買させしめるのにかかるコスト。)

特に四則演算なんてのはそれ自体は小学校で習うものだが、それを実用的に体得するのが難しい。いつ、どのように適用するか。

最近、そうした訓練の機会を与えられている。どうも自分では問題設定が出来ないので、ありがたい限り。社長さんから貸していただいた本も読まなければ。

しっかりやり抜きたい。


写真は、日本からのミッションに持ってくるのを頼んだ本×3。重いのに届けてくれてありがとう。大事にします(=ちゃんと読みます)。


2010年8月15日日曜日

Bienal do Livro

昨日はなんだか無駄に深刻な雰囲気を醸し出してしまったが、祖父は今もこの胸の内にいるということが言いたかっただけなので、ご心配おかけしたようなら申し訳ありません。

さて、気を取り直して今日は普通に日記。

タイトルにあるようにBienal do Livroという、年に一回サンパウロで開かれるブックフェアにAIESEC関係の人たちとともに行ってきた。

AnhembiというMarginal Tiêteの脇の大きなパビリオンに何百もの出版社や書店が軒を連ね、人でにぎわっていた。

ブックフェアといっても基本的にはポルトガル語の本しか置いていないわけで、基本的には同行者の後をついて回っていたが、その中で思ったことをいくつかあげる。

1.ラテン語族言語同士の乗り換えのしやすさ

英訳するとFrench Libraryという名前の書店のブースに行った時のこと、仕方ないので星の王子様を手に取ってみたところ、ポルトガル語と似た単語の何と多いことか。そのブースで本を買った知人のブラジル人も「もしフランス語でもゆっくり話してもらえれば、だいたい理解はできる」とのこと。羨ましい。

2.ブラジル人ってやっぱり柔軟

一般化するのはどうかという話ではあるが、柔軟。入場券を買う時に一緒に連れて行ってくれた知人の交渉のおかげもあったけれど、日本の学生証で学生の代金で購入させてくれた。日本じゃ有り得ないと思うのは僕だけだろうか。

3.日本のものももう少し頑張れるはず

日本からやってきた本という意味で、語学や漫画の類はところどころ散発的にではあるが見かけた。しかし、それ以外のものは全く目に入らず。村上春樹が立派な書店にポルトガル語訳が置いてあったくらいか。それに加えて、Fundação Japãoのブースが何とも言えない寂しい雰囲気だったのが悲しい限りだった。物を売るつもりもないし、かといって人を呼び込む目玉のようなものもなく、はっきりいって何がやりたくてブースを出しているのかわからなかった。


知人たちと話したこと等、書きたいことは他にもあるが、今日はこの辺で。