2012年7月29日日曜日

汚れた心 - Corações Sujos


映画「汚れた心」を観た。

第二次世界大戦直後のブラジル日系人社会での出来事が描かれている。

日本の敗戦を受け容れた日系移民に対して、その彼らを「汚れた心をもつ國賊」と呼んで粛清した日系移民、という構図。前者は「負け組」、後者は「勝ち組」と通称されている。

勝ち組に加担した主人公を伊原剛志が、その妻を常盤貴子が演じた。

血生臭くて、重い。

しかし、この映画をより多くの人に観てもらいたいというのが率直なところだ。

※原作本表紙。ポルトガル語よめるようになりたい。


日本で日系移民に関してなぜこんなに知られていないのか甚だ疑問に感じる。

中学高校の歴史で習うのだって、第一次大戦後のアメリカ合衆国カリフォルニア州の移民法成立辺りの話が関の山だ。

日本(のどの地域)からどこの国へどれだけの人々が移民として船出したのか、そうした事実やその背景とどう向き合うか。

移民という歴史的に稀な出来事が日本からどのように展開されたのか知るだけでも、日本の歩みに対する大きな示唆を得られるのではないかとさえ感じる。(僕が授業中に寝てただけだったら、ごめんなさい。)

それとも、日本を出ていった人たちに日本法は及ばないから、特別に注意関心を払う必要はないというような政治的合意があるのだろうか。

百歩譲って、優先順位的に上位には上がらないという判断があるのだとしても、国家として誰かが向き合うべき問題だと思われる。

僕がサンパウロで見てきた「日本人 "japoneses"」像は、勤勉で礼儀を重んじ、あの広大な土地で豊かな農作物の生産に貢献してきたという点で尊敬されていた。(日本食の、あの繊細な味を分かってくれる人は少なかったけど。)

実際に日本人移民がブラジルに持ち込んだ農業技術・農作物の種類は、僕が知っているだけでもいくつもある。

であるにもかかわらず、ブラジル日系移民百周年の折に天皇陛下が行幸されたという形式的な応酬の他に、日本側から在伯日系移民への実質的な働きかけの類は見当たらない。

また、移民一世から世代を下るにつれ、彼らはますますブラジル化し、祖国のことを忘れていってしまっている。

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大学を休学して地球の裏側に行った数少ない人間だということで、単に僕が逆上せあがっているだけなのかもしれない。

それでも、日本を祖国と思っている人たちは、いまや決して日いづる国にのみ存在しているわけではない。(余談だが、デカセギとして日本に戻ってきている場合もある。)

そのことに思いを馳せると、そうした祖国を想う人々の存在が忘れられていってしまうことが残念に思われて仕方ない。

もう一度。ぜひ、この映画をご覧になってください。お願いします。

2012年3月31日土曜日

新たな一歩

とうとうこの日を迎えることとなった。

学部卒業が確定してから、まだ1ヶ月経っていない。

だが、もう甘いことは言っていられない。



自分の至らなさに目を向けるのはつらいが、愚直にやっていくしかない。

けっきょく今まで、そうした、目を覆いたくなるようなことから逃げてきていたということなのだ。

そんな自分を変えるため、自分と向き合うため、この舞台へ歩みを進める。

だいぶ荒波多い航海となりそうだ。

でも、一歩一歩。

2012年3月2日金曜日

前途洋洋たる

最初にKMBでお世話になった僕らが日本人インターン第一世代だとすると、第三世代にあたるインターン2人がもうすぐ現地入りする。

昨日は、そんな彼らともう一人第二世代のインターンも交えて、渋谷で飲んできた。

インターンシップを終えたばかりの彼がどんな6か月を過ごしてきたのか、あるいはこれから現地入りする二人がどんなことを考えているのかを通じて、僕の9か月を振り返るきっかけとなった。

結論から言えば、話の最中でex-traineeである我々が何度も繰り返したから、少なくとも観念としては伝わってるものと思われるが、結局「楽しんだもん勝ち」である。

「何やりたいの?」と聞くと「マーケティング」とか「ロジスティクスに少しでも関わりたい」とかって返答がありがちで、ブラジルに行く前の僕も、わけもわからず恰好をつけるために似たようなことを言っていた。

しかし、そんなことよりも先に日々の生活の中で自分が何に無上の喜びを感じるのか、追求することの方が大事だ。

こう断言する理由は、いくつかあるが、何より学生インターン生の特権としての自由について書きたい。


一つは、インターン先企業との組織と個人の関係における自由。受入開始の段階で半年とか1年という期限付きで入ってくるAIESECインターンは、他の正社員・現地インターンと比較して、お客様として遇される面がどうしても出てきてしまう。それは期限付きなのだから経営の観点からすれば当然だ。しかしそれは逆に言えば、組織内部をじっくり見ることが出来るにもかかわらず、比較的何をしようにも自由ということと捉えることも出来る。もちろん給料をもらう以上は、給料を出す側が期待するアウトプット(仕事)をしなければいけない。しかしその仕事を追求することはきっと楽しいことだと思うし、学生身分を保留して(休学して)臨んでいる以上、学生をしながらのインターンシップとは緊張感が違うはずである。僕は、現にそうだった。

もう一つは、上記とも関連するが、現地社会における行動範囲の自由。こんなことに自覚的になってしまうのは日本人だからなのかもしれないが、アウトサイダーとして、または現地化を目指す一個人として、国籍は違えど同じ世代を生きる学生として、おじさんの話を聞きたくてわくわくしている一日本人学生として、などなど様々な顔で活動できる。これも前提として、一定の給料をもらい、学生身分から解放されていて、かつ会社化組織からも一定の距離感があるからこそである。

この自由に対して、もはや”特権的”という言葉を使ってもいいと思う。なぜなら、留学やらボランティアやらとの比較においても、或いは学生生活を終えてからにおいても、極めて珍しいものと推測されるからだ。だって、安定的にお金もらってる時点で学生としては珍しいし、一方で組織からの自由という意味でキャリアを歩み始めたら、あんな贅沢な時間の使い方はなかなか出来ないはずだからだ。

これから休学して海外企業でインターンシップに臨む全ての人に、そして我がインターン先に臨む二人に次の言葉を送りたい。

"Vivre - ce n'est pas respirer, c'est agir.(生きること、それは呼吸することではなくて活動すること。J.J.Rousseau)"

前途洋洋たる現地での生活を、存分に楽しんできてほしいです。

2012年2月28日火曜日

感受性くらい

このほど、学部試験が終わった。現在、卒業可否の発表待ち。

確固として特にやりたいことがない人間にとっては、あれほどの圧迫感を伴う機会を数少ない訓練と捉えるのがよいのだと言い聞かせながら、机に向かっていた。(とはいえ、僕はギリギリにならないと尻に火がつかない性質であり、相対的にはのらくらした生活をしていたはず。)


高校を卒業し、大学に入学してから5年が経つ。

最近、この期間が自分にとってどういう意味をもつものなのか、振りかえることが多い。

自分が最も楽しんで生活していたのは、ブラジルでの一年弱を措いて他にない。これは間違いない。

地球の裏側で学んだのは、自分の感性に基づいて動くことの大切さ。

お世話になったインターン先の社長さんから学んだ部分が大きい。もちろん向こうで出会った全ての人からも。

そうでなければ、あのような就職活動はしなかっただろうし、その延長線上にあるご縁もなかっただろう。

少し角度を変えれば、それまでの自分を一定程度「ぶち壊す」ことが出来た。

残念ながら、こんな風に言えるのは、学生生活を通じてこれだけ。

楽しいと思えるものを追求して、もっといろんなことを試してみればよかった。

或いは、大学受験・学部決定など節目ごとに、自分がやりたいことについて自問自答しておくべきだった。

言っても仕方ないのは百も承知だが、これが率直なところである。

とはいえ、今の思いを胸に前に進むしかない。


また壁にぶつかったら、戻ってこよう。


「自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ」

2012年1月8日日曜日

2012年、始まりました。

最近、表向きには単位のための勉強をしていることになっており、特にここで記事を書くまでのこともないが、敢えて近況を記す。

学生団体の後輩の様子をみたり、自分の過去4年間を振り返ったり、旧交を温めたり。

そうそう、そういえば年賀状を天皇誕生日辺りにブラジルに送ったら、普段通り10日経って届いたとのこと。

その連絡が社長さんから直接メールで届いて、ビックリしつつ嬉しがっていたのだった。

ブラジル郵政公社は年末年始も通常通りの仕事をした。

自分の過去の振り返りという意味では、大学含め日本の経年的人材流動の構造やインターンシップとヴォランティアの違いについて考えることが多い。学生であるうちに、このブログで言語化したい。

あとは会社勤めが始まった後のことの妄想。南米に戻ったとして何をするか空想するのがもはや日課と化している。

元旦翌日に旅人コミュニティの新年会にお邪魔したが、その時友人が既に2012年末から2013年始の暦について語っていてビックリした。でも、あんまり他人のこと言えないということですね。

そんな最近。

(ブログ記事書いてる暇あるんだったら、1ページでも教科書を読み進めろって話ですね、はい。)