2011年9月27日火曜日

Caleidoscópio - Rioから見たSP

帰国当初から、近いうちにブラジルに戻りたいと思っている。

特に最近ブラジル関連のイベントに顔を出すに付け、その思いは強まっている。

どう実現するかが最大の問題であるが、ここではとりあえず行きたい理由を記す。

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最もひきつけられるのは、Rio de JaneiroのCarnavalに代表されるような光り輝くブラジルである。

これは、Carnavalの1ヶ月前に帰国したことによる、宿題としての側面が強い。必修科目。

最近ラテンビート映画祭で見た「Rio」というフルCGアニメ映画の影響も少なくない。

話自体は珍しくないものだったが、主な舞台となるRio de Janeiroという街が細部にわたって描きこまれていたこと、主役の鳥たちがブラジルらしいヴィヴィッドな色鮮やかさであること、話の展開がまさにRioのCarnavalに沿っていること、これら3点に感銘を受けた。

この映画の監督はブラジル出身で、長年この企画をあたためてきたというから相当力が入っていたのだろう。

一般的には、この映画を大衆娯楽アニメ映画と捉える向きが強いと思われるが、実際の街中に存在する雰囲気を詳細に表現しようとした点においてこそ評価されるべきだと感じた。

というのも、劇中で描写されているRioの町並みを通じて、僕のSão Pauloでの日常が想起されたからである。

その”Rioの町並み”は、歩道に敷き詰められているタイルだった。(写真の上から3段目右側。)

São Pauloでは、州の形をモチーフにしたイカした模様で統一されたタイルが敷き詰められている。

一方、劇中で主人公の鳥が飼い主と車に乗ってRioの街中で信号待ちをしているシーンで出てくるのが、下のイメージにもある模様なのである。そもそも僕はRio de Janeiroに行ったことがなく、Rio州の紋章などは知らないが、少なくともこの模様が"Rio"という言葉が意味する「川」の流れをモチーフとしたのは一目瞭然だ。

正直、São Pauloでの生活では、歩道の模様をそんなスタイリッシュにする前に、道路の補修とか信号機の耐久性向上とか他にやることがあるだろうと思うことが多かった。しかし、そうした機能物に作り手のこだわりというか美意識のようなものを盛り込んでくる、そしてそれを許す、あの雰囲気に対して、懐かしさを覚えずにはいられない。

サウダージとは、こういう感情のことを言うのだと思う。

この2つの州・都市の歩道の模様が、自分の中で瞬間的に繋がり、この映画を名画にした。

(画像引用先: Wikipedia)

2011年9月19日月曜日

地理情報の把握

しばらくはブラジルに行くことはないと思われるので、このブログは日本におけるブラジルの話題であったり、当時のことを思い出しての話題をつづることになる。今回は後者。

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行ったことのない場所へ行くとき、地図が重宝する。

日常のルーティンを抜け出て新しい街に繰り出す場合と、その領域の背景にある地理情報を知りたい場合。

このように地図利用の目的は大きく2つに分けられると思われるが、前者においてはGoogle Mapsなど技術革新によって、ネットに接続できれば好きなときに好きな場所で地図を確認することが出来るようになった。

問題は後者の、その領域における地理情報の把握における地図の役割である。

それは言うまでもなく大きいわけであるが、ブラジルに行く前の僕は、この点を履き違えて大きな失敗を犯した。

つまり、使っていた地図帳を持っていくことを怠ったのだ。何も考えてなかっただけとも言える。

いま僕はこの失態を悔いている。

なぜなら、ブラジルという千差万別の地域文化を持つ国において、地理条件の把握こそが、その実情把握のための要になるからだ。

実際、上記の地図の目的二分論における一つ目の理由からわかるとおり、単に生活していく分には、たとえそれが旅行であっても、最低限の需要は満たされる。

しかし、その地域がどのような地理条件にあって、したがってどのような気候や文化があるのか、そうしたことを把握し、自分の五感を通じて得られる刺激と結びつけるためには、どうしてもしっかりした地図帳が必要なのだ。

振り返ってみると、サンパウロの本屋さんで地図帳を探すなんてことはなかったし、結局当時は地理情報の把握を全く意識していなかったということなのだろうが、今では勿体ないことをしたとしか思えない。

帰国して自分の本棚で受験時代からお世話になっているA4版の『基本地図帳』(2006, 二宮書店)を見つけ、南米のページを開いたときの落胆といったら筆舌に尽くしがたいものがあった。

ブラジル近代史やブラジル日系移民史について少しばかり本を読んでいたので、なおさら勿体無かった。

統治にしろ商売にしろ、時間(歴史)と空間(地理)の把握が第一歩であると、誰かが言っていた。

反省!