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行ったことのない場所へ行くとき、地図が重宝する。
日常のルーティンを抜け出て新しい街に繰り出す場合と、その領域の背景にある地理情報を知りたい場合。
このように地図利用の目的は大きく2つに分けられると思われるが、前者においてはGoogle Mapsなど技術革新によって、ネットに接続できれば好きなときに好きな場所で地図を確認することが出来るようになった。
問題は後者の、その領域における地理情報の把握における地図の役割である。
それは言うまでもなく大きいわけであるが、ブラジルに行く前の僕は、この点を履き違えて大きな失敗を犯した。
つまり、使っていた地図帳を持っていくことを怠ったのだ。何も考えてなかっただけとも言える。
いま僕はこの失態を悔いている。
なぜなら、ブラジルという千差万別の地域文化を持つ国において、地理条件の把握こそが、その実情把握のための要になるからだ。
実際、上記の地図の目的二分論における一つ目の理由からわかるとおり、単に生活していく分には、たとえそれが旅行であっても、最低限の需要は満たされる。
しかし、その地域がどのような地理条件にあって、したがってどのような気候や文化があるのか、そうしたことを把握し、自分の五感を通じて得られる刺激と結びつけるためには、どうしてもしっかりした地図帳が必要なのだ。
振り返ってみると、サンパウロの本屋さんで地図帳を探すなんてことはなかったし、結局当時は地理情報の把握を全く意識していなかったということなのだろうが、今では勿体ないことをしたとしか思えない。
帰国して自分の本棚で受験時代からお世話になっているA4版の『基本地図帳』(2006, 二宮書店)を見つけ、南米のページを開いたときの落胆といったら筆舌に尽くしがたいものがあった。
ブラジル近代史やブラジル日系移民史について少しばかり本を読んでいたので、なおさら勿体無かった。
統治にしろ商売にしろ、時間(歴史)と空間(地理)の把握が第一歩であると、誰かが言っていた。
反省!
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