2010年8月31日火曜日

Discovery Day with AIESEC USP

I took part in the Discovery Day of AIESEC USP in the last weekend.

This experience reminded me of what AIESEC is like.

It is really an emotional thing, but that is what it is all about, I guess.

I will see a little bit farther about how they do and what I can do for them.

(Session on what the event is for.)

(Introduction of Executive Board to the new comers)

(Session on mentorship: what can we do for the new comers?)

(at the end: 宴もたけなわ)



2010年8月27日金曜日

Soulful Japan

In this weekend, some Japanese AIESEC members are going to an event for new comers to AIESEC.

Some are going to that of AIESEC PUC and the others including me are going to that of AIESEC USP.

We are expected to present our home culture.

Then, one of my friends going to PUC asked me to download a movie on Japan and I found some.

Below is one of them:


What I have to say is that I need fresh Sashimi of the quality in Japan!!!!

刺身が食べたい!

(BGMは久石譲の作曲のようですが、定かではありません。)

2010年8月25日水曜日

シュハスカリアにて

今日は久しぶりに仕事が捗った。



そして全く脈略はないが、夜は社長さんと副社長さんが、サンパウロに来ているAIESEC関連の日本人学生を相手に一緒に食事をしてくださった。

なかなか盛り上がる。

仕事から生活、権力闘争のことなどなど、フィールドは多岐にわたる。

社長さんと副社長さんと学生だけの環境は初めてだったので、個人的にもいろんな話が聞けて面白かった。

非常に積極的に話をしてくださってありがたい限り。

ごちそうさまでした!!


追記:やはり、Caipirinhaはcom limãoがmaracujáよりおいしい気がする。副社長さんの言うとおり、Caipirinhaのカクテルセットは買って日本に持ち帰りたいと思う。

2010年8月21日土曜日

我らが公文ここにあり

平日毎朝、フリーペーパーの新聞を通勤の途中で1部もらうのが日課。

通勤の時間帯にパウリスタ通りで無償配布している新聞はいくつかあるのだが、Mêtro誌を毎朝もらっている。

そんな新聞にふと載っていた以下の広告。2010年8月19日付だっただろうか。


広告の真ん中より少し下にある青い文字を日本語訳すると「公文式: 世界中の子どもたちの、学ぶ喜びを育てます」といったところ。

僕が日本で公文にお世話になったのは幼稚園から小学校低学年ぐらいだったと記憶しているが、とても懐かしい感覚に襲われた。

教育が人をつくるというのは本当だと思う。

公文にお世話になったのは幼いころのことだったが、あのおばあちゃん先生のいる教室に通った経験が眼には見えない血肉になっていると思うと、その公文が日本の地球の裏側でも頑張っているのを知るだけでこみあげてくるものがある。

頑張ってもらいたいものである。


Livros em japonês

日本からAIESECのミッションがやってきた。


目的は日本人インターン生を受け入れてくれる企業を探し出すこと。

すなわち、営業活動である。

>>>

潜在顧客に対して何を売るのか、どこで、何時、どのようにメリットを見せて行くか。

単位顧客当たりの獲得コスト(※)算出は四則演算の組み合わせ、そして顧客に対する見せ方は心理学の積み重ねらしい、というのが最近学んでいることである。

(※1人の人間に自社商品を購買させしめるのにかかるコスト。)

特に四則演算なんてのはそれ自体は小学校で習うものだが、それを実用的に体得するのが難しい。いつ、どのように適用するか。

最近、そうした訓練の機会を与えられている。どうも自分では問題設定が出来ないので、ありがたい限り。社長さんから貸していただいた本も読まなければ。

しっかりやり抜きたい。


写真は、日本からのミッションに持ってくるのを頼んだ本×3。重いのに届けてくれてありがとう。大事にします(=ちゃんと読みます)。


2010年8月15日日曜日

Bienal do Livro

昨日はなんだか無駄に深刻な雰囲気を醸し出してしまったが、祖父は今もこの胸の内にいるということが言いたかっただけなので、ご心配おかけしたようなら申し訳ありません。

さて、気を取り直して今日は普通に日記。

タイトルにあるようにBienal do Livroという、年に一回サンパウロで開かれるブックフェアにAIESEC関係の人たちとともに行ってきた。

AnhembiというMarginal Tiêteの脇の大きなパビリオンに何百もの出版社や書店が軒を連ね、人でにぎわっていた。

ブックフェアといっても基本的にはポルトガル語の本しか置いていないわけで、基本的には同行者の後をついて回っていたが、その中で思ったことをいくつかあげる。

1.ラテン語族言語同士の乗り換えのしやすさ

英訳するとFrench Libraryという名前の書店のブースに行った時のこと、仕方ないので星の王子様を手に取ってみたところ、ポルトガル語と似た単語の何と多いことか。そのブースで本を買った知人のブラジル人も「もしフランス語でもゆっくり話してもらえれば、だいたい理解はできる」とのこと。羨ましい。

2.ブラジル人ってやっぱり柔軟

一般化するのはどうかという話ではあるが、柔軟。入場券を買う時に一緒に連れて行ってくれた知人の交渉のおかげもあったけれど、日本の学生証で学生の代金で購入させてくれた。日本じゃ有り得ないと思うのは僕だけだろうか。

3.日本のものももう少し頑張れるはず

日本からやってきた本という意味で、語学や漫画の類はところどころ散発的にではあるが見かけた。しかし、それ以外のものは全く目に入らず。村上春樹が立派な書店にポルトガル語訳が置いてあったくらいか。それに加えて、Fundação Japãoのブースが何とも言えない寂しい雰囲気だったのが悲しい限りだった。物を売るつもりもないし、かといって人を呼び込む目玉のようなものもなく、はっきりいって何がやりたくてブースを出しているのかわからなかった。


知人たちと話したこと等、書きたいことは他にもあるが、今日はこの辺で。

August 15th

3時間ほど前にこの日を迎えた。

2年前、我が家においてこの日の意味づけが少し変わった。

終戦記念日である以前に祖父の命日となった。

2年前のあの日は浦和の病院にいた。

祖先のこと、或いは自分のルーツが気になるのは、我が亡き祖父の影響が大きい。

祖父の死は、共に祖先のことを調べようと言っていた矢先のことだった。

一歩一歩進むしかない。

合掌。

>>>

August 15th is a special day for the Japanese people.

But two years ago, the meaning of this day was changed in my family.

It became the deathday of my grandfather.

On the day, 2008, I was in a hospital in Urawa, a bed-town city around Tokyo.

I am very interested in my root and my ancestors because of his influence.

He died when we were about to research for that kind of things.

The life is going on.

With respect of him.

2010年8月14日土曜日

CPF!

たまには今後ブラジルで長期間にわたって生活するであろう人への情報をば。

今日、ふと郵便ポストを見たら、CPFが来ていた。

「Cadastro de Pessoas Físicas」であり、英訳すると「Natural Persons Register」すなわち、自然人登録ということになる。

(こんな封筒に入って届けられます。サイズは、クレジットカード大。)

Each individual has a number (which is the actual CPF), formerly printed on a paper document but now on a blue plastic card (credit-card-sized). Since the 70s the use of this number has been extended to a series of other purposes, making it one of the four most important documents for anyone living in Brazil (the others are the Identity Card, the Voting Registration and, for men, the Military Service Certificate). Without a CPF it is almost impossible to lead a normal life in Brazil. http://en.wikipedia.org/wiki/Cadastro_de_Pessoas_Físicasより

上記引用の特に後半を見てもらえば分かる通り、ブラジルで生きて行くには欠かせないものである。日本における自動車免許のような、IDカードとして汎用性と利便性を兼ね備えた書類と言えば分ってもらえるだろうか。

RNEという外国人登録の申請をし、それを受けてCPFの申請に会社近くの郵便局に行ったのが7月頭、その申請のConfirmationをしにPoupatempoに行ったのが7月25日くらいだったはずなので、 CPFにかけた時間だけを見ても1ヶ月以上はかかったことになる。

長かった。

しかし忘れたころにやってくるのは、ブラジル行政の巧妙な罠だろうか。

それでもReceita Federalが管轄するCPFは、Policía Federalが管轄するRNEより俄然早いのだが。


地味に嬉しかったので記す。

2010年8月9日月曜日

[note] Talking with a Chinese student

以下、昨日喋っていたことについてのメモ。

>>>

ブラジルに来てから、他人に推薦できるような中国料理には未だ出会っていない。

中国でも最近は私立大学の設立ブーム。国立だけが大学ではない。

中国の中高生はえてして勉強漬けだが、そうでない校風の学校もある。

日本の漫画やアニメ、ドラマは結構見る。Ultra manはMonsterが夢の中でも出てきて怖かった(!)。中でもTokyo love storyは女の子に人気。そしてスラムダンクは中国でもバスケ人口増加に寄与した。

日本文学は中国人(少なくとも話した相手)にとっても情緒的で美しく感じられる。

「伊豆の踊り子」は「伊豆的舞女」。

大学受験にあまり関係ない場合、今の中国人学生の中で中国の歴史(例えば隋唐宋元明清くらいの王朝の元号といった基礎知識)さえわからない人が多い。

「三国志(さんごくし)」は日本語読みでも通じた。(これはブラジルという、この環境か、或いは相手が学生で聞くことに積極的だから、なのかもしれない。

簡体字は略しすぎ。

メモは以上。




文化や歴史について話ができるというのは楽しいと思った日曜日だった。

2010年8月8日日曜日

Sightseeing

今日は、USPで勉強している交換留学生たちのCentro地域の観光、すなわちサンパウロ市の中心地に位置する歴史地区への観光に同行。

(São Bentoの脇の古いビル。なんでも建設当時最高峰の技術で建てられたらしい。)

交換留学生たちの交流企画を地元の学生が企画しているらしい。Emanuelはなかなか快活なやつだった。

こういう出自が混ぜこぜの中にあっても、なんだかんだ出身地が近い人同士で固まってしまうものである。

今日もまた、東アジアコミュニティだった。漢字は偉大である。ちなみに他の人たちはFrançaiseだった。

そして伯日中の歴史の話から漫画、大学、AIESECと多岐にわたって話をした。

"With your sense of history, you are more like an authentic Japanese." と言われたのが記憶に残っている。

向こうがどれくらい意識して言ったのかはわからないが、結構こういう些細な一言がずしんと重かったりするものである。そんなに歴史を知っているつもりはないが、否定はできない。確か、我らが母国を出ていった移民たちの子孫についてどう思うか話している時に出た話。先方は少なくとも東アジア移民の子孫は教育水準が高く尊敬に値すると言っていたが、こちらはそれもあるけどどちらかというと全く別物の感が強いと感じ、その理由を考えている時に向こうが投げかけてくれた言葉。


ちなみに2枚目の写真は、Universidade de São Pauloの法学部の建物。この建物だけ市の中心部にある。この機関の経緯からすれば、高等教育の歴史という意味で、おそらく我が国よりブラジルの方が古いのだと思われる。

「FACVLDADE DE DIREITO」と書いてある。UをVと書いているのは旧筆記法か或いは当時の「正統」ポルトガル表記か。誰かに聞いてみよう。

その国の最初の大学の歴史を紐解けば、その国の成り立ちが映し出されるというのは本当だと思う。USPやITAといったこの国の高等教育機関についてもっと知りたい。

2010年8月5日木曜日

Reunião a USP

今日は、AIESEC USPの委員会のミーティングに参加。毎月第一水曜日に18時からやっているらしい。

仕事を普段より早めに切り上げて、一人で地下鉄とバスでUSPへ。

ミーティングをやっている教室へ行くと、月次の報告をやっていた。18時半に着いた後、19時半まで1時間ずっと。

基本的にはスクリーンの前で一人が延々としゃべっているスタイルだが、ときどき聴衆の側に話をふったり、また誰かにしゃべるのを一時的に交代したりしていた。程よい教室の大きさと可動式の机椅子が効果的。


月次の報告が終わると研修生のプレゼンの番。正直何も準備していなかったので焦ったが、1.インターン、2.自分、3.AIESECでの活動経験、の3点については一通り話すことはできた。

ドイツ人?→日本人→中国人(研修生ではなく留学生)の順番。

ドイツ人?の彼は、流暢なポルトガル語で話していたのでよくわからなかったが、中国人の留学生(AIESEC経験あり)は英語だったのでよく理解できた。

その後、ポルトガル語が分からないもの同士、ぺちゃくちゃ喋っていたら時間が過ぎて行った。帰りも同じ方向と言うことでバスの中でぺちゃくちゃ。

彼女は復旦大学に入学の後、単位互換制度によってオランダへ、そしてさらにそのオランダの大学の制度を使ってブラジルへ"International Economics and Business"を学びに来たとのこと。

AIESECの活動もするということらしいが、何より印欧語族言語が母語でない非日本人と久しぶりに会ったので励みになった。

▼今日の発見
・プレゼンテーションにおける瞬発力が足りない。焦らず慣れる。
・日本人からしたら中国語の発音が出来れば欧米語なんて楽勝だと思っていたが、そうでもないらしい。むしろブラジル語は時々日本語に聞こえるとか。
・ブラジル人に比べたら中国人なんて似た者同士。漢字で意思疎通を図れるのは大きい。もちろん英語も。
・彼女の高校の姉妹校として「暁星」という名の東京の高校があるらしい。現在、事実関係確認中。
・St.Consolação近くのランチオネチはおいしい。少し、高かったけど。時には野菜や果物を注文する。

Tchau!

2010年8月3日火曜日

Uma nova semana again

Time passes by.

It has been about 10 months since I came into Brasil.

What have I done so far?

That question is around in my mind.

Time to put a priority, meaning time to throw away something.

(It's time to shoot! A gente!)

社長が一時帰国されている間に見直すと言い放っておきながら、未だ明瞭な指針は打ち出せていない。

欲張り過ぎている自分がいるのはわかっているつもりだ。

何を捨てるか、それが問題だ。

来週の月曜がリミットだ。