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2011年1月17日月曜日

インターンシップ終了

最後の1週間はあっという間に過ぎ去った。

インターンシップの終了というのは区切りに違いないが、涙涙の、という事態にはならなかった。

自分はどちらかというと涙もろい方なのだが、なぜそうならなかったのか理由はよくわからない。

金曜日の終了後に荷物を片づけ、土曜日の新年会兼忘年会に参加した。

直ぐに旅行に行くからかもしれないし、近々社長さん達に挨拶に伺うつもりだからかもしれない。

ひとまず感謝の気持ちでいっぱいである。

寄せ書きもありがとうございました。

(新年会兼忘年会でのお別れのスピーチの原稿はこちら

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土曜日は飲み過ぎで死んでいたし、日曜日は朝一番でポル語教室をこなしつつ、夜になってこちらで知り合った方の家に招かれてご馳走していただいた。

このブログ記事を更新する時間もなかなかない。

もう少しまともな振り返りをしたいところ。

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6時間後にはアルゼンチンのブエノスアイレスに向けて出発。

いつものことながら、これからパッキング頑張ります。

2011年1月16日日曜日

Despedida para a empresa

Caros amigos,

              Ontem, meu trabalho no escritório terminou. E hoje eu queria agradecer pelo aprendizado a todos os colegas da Kawasaki Motores do Brasil Ltda.

              Do dia 19 de maio do ano passado, eu tenho trabalhado com as informações dos clientes na área de CRM, Marketing. Na verdade, sou estudante numa faculdade de Direito em Tóquio, também por isso, tenho encontrado coisas novas todos os dias.

              Fico muito feliz com o trabalho na empresa porque quase consegui realizar as minhas metas no estágio aqui.
              Primeiramente, tive dois motivos quando me candidatei a esta empresa. Um foi que a empresa ficava num país fora da Ásia. Eu quis conhecer uma cultura mais diferente da minha. O outro foi a distância do topo da empresa. Eu soube que esta empresa é muito nova e achei que nessa situação eu pudesse fazer alguma coisa interessante. E até agora a minha expectativa tem se realizado.

              Então, esta empresa é muito nova e como tudo que está começando as condicões sejam difíceis e duras. Mas, no mesmo momento, acredito que tenha bastante potencial. Entendo que só o trabalho não é a vida. Por outro lado, é verdade que o trabalho é uma parte da vida. Enfim, se você se divertir com o seu trabalho mesmo, o potencial não vai ficar somente em potencial. Não há nada que a gente não possa realizar.

              Vou voltar ao Japão no dia 8 de fevereiro depois duma viagem para “o Fim do Mundo”. Talvez eu continue a usar o e-mail da empresa para terminar algumas tarefas infelizmente.

              Mas, de novo, eu queria agradecer. MUITO OBRIGADO!

15/01/2011
Kentaro Shibayama

2011年1月12日水曜日

Tá chegando

O fim do meu trabalho está chegando.

Vai terminar na sexta-feira que vem.

Agora estou no processo de transição do meu trabalho para uns colegas.

(A minha mesa no escritório)

Tenho trabalhado com as informações de clientes.

Nestes dias, é muito importante aproveitar umas informações.

No meu caso, a empresa precisa saber sobre os clientes e o mercado, e o presidente me deu uns trabalhos sobre clientes.

Fico feliz porque todos os dias tenho encontrado coisas novas.

Quero continuar andar na estrada que eu possa encontrar essas coisas.

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Tenho somente três dias, mas vou aproveitar tempo para fazer os últimos trabalhos.

2011年1月10日月曜日

サンパウロの夏は夕立が降る。

昼間はからっと晴れていても油断してはならない。


今晩、宿の中が大騒ぎになった。


ブラジル鹿児島県人会館には、共用の台所兼食堂に隣接して駐車場兼集会所がある。

ちょうど写真の真ん中にあるドアの向こう側である。

雨の降るたびに雨漏りがあったのだが、今晩の雨は尋常じゃなかった。

駐車場が水浸し、ワイパーで掃いても掃いても水浸しになった。

水をかき出すこと20分、ようやく雨が落ち着いてきたので、その場は解散になった。

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ブラジルでの洪水被害のニュースが日本でも流れたらしいが、バカにしてました。ごめんなさい。

2011年1月7日金曜日

06/01/2010

今日はひさしぶりにサンパウロで雨が降らない一日だった。

夕方になって曇り始めたため、湿度が急激に上がったものの、それでも7時を過ぎても顔を出していた夕日のおかげで空が明るく、気持ちがよかった。

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このインターンシップ(という機会を通じて得た経験全体)についての報告書を書いた。フォーマットはAIESEC in Japanの某イベントのためのものである。

書き上げたので、ひとまず社長さんに提出してコメントをお願いしている。まだ返ってきていない。

しかし今日の仕事の最中にその報告書が話題に上がった。

「怪しまれない程度に誉めちぎっといたわ(笑)」とのことだが、真相は乞うご期待。

そんな冗談を交えつつも、評価していただけているのは嬉しい。

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つまるところ、何らかの理由で自分の思い通りに出来ない中で、妥協しながら、でもどこまで走り続けられるか、ということなのだと思う。

「100点を取らなきゃいけないのは学校の中だけで、会社では60点でもなんでもとにかく難しいものに一通り形になっている回答を提示することの方が大事。」

成長してないなと我ながら思うが、今までの8ヶ月を悔いても今さら始まらないだろう。

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一方の仕事はと言うと、残り2週間を切る中で色々仕事を振ってもらっている。

しかしもともとだいぶ前からやっていたはずの仕事がここにきてうまくいっていなかったことに気付く。

キーとなって推進してくれる人間を勘違いしていたとか、言い訳の仕様はいくらでもあるが、それでは何も進まない。

ここにきて、ヤル気を見せてくれているその人にかけるしかあるまい。

ひとまず我が出国までに形になることを目指す。


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そういえば、終業後にポル語の勉強のためにスタバに寄ったのだったが、そこでAIESEC USPの人たちと遭遇。

近々研修生として国外に赴く人のためのちょっとした勉強サークルをやっていた。

もともとやりたかった勉強は何も出来なかったが、リスニングとスピーキングの訓練にはなった。

遭遇したことに正直ビックリ。でも時間の割にいろいろ話せたのがよかった。


2011年1月5日水曜日

Consegui!!

Hoje consegui comprar um bilhete de voo para Ushuaia, "a cidade do Fim do Mundo" na Argentina.

O preço do voo não está barato agora porque são férias geralmente.

Mas esse tempo é verdadeiro de mim, não pude fazer nada.

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Da tarde um dos colegas meus me levou para o escritório das Aerolíneas Argentinas na Al. Santos, a mesma rua em frente da minha empresa.

Entrei sozinho dentro do prédio.

Teve um escritório bonito no 14o andar.

E aí, uma fucionária apareceu.

Eu não me acostumei a reservar, mas consegui a esclarecer.

Quando acabarava do processo que reservar, uma frase que ela me deu: "Você fala bem português!".

Certamente eu fiquei alegre com o feito que consegui comprar o bilhete.

Mas a razão que sinto muito alegre é o feito que eu consegui fazer uma compra complicada SOZINHO falando português.

Terá menos de cinco aulas de português. Tempo passa mas vou tentar aproveitar!

2011年1月4日火曜日

仕事始め

我がインターン先企業は、1月3日から稼働している。なぜなら月曜日だからである。

社長さんも休暇から復帰され、色々仕事が降ってきた。

動いている実感があるのは楽しい。

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さて、我がインターンシップが終わった後、日本へ帰国するまでの2週間弱ほどの間、旅に出ようと思っている。

目指すは、南米最南端の地、ウシュアイア。地図で見るとサンパウロ(地図上A地点)からの距離は以下の通り(ウシュアイアはB地点)。


で、航空券をネットで調べていたのだが、なんとも高い。

他の南米諸国は知らないが、ブラジルは今現在、長期休暇の真っ最中。

しかも南半球の今の時期は夏なので、南極に程近いパタゴニア地方は観光シーズンを迎えているとのこと。

結論として、当初思い描いていた、往路のブエノスアイレスからウシュアイアまでを長距離バスで寄り道しながら行くというプランは捨て、往復ともにブエノスアイレス経由の航空券を購入することにした。

ブエノスアイレス近くにブラジルでできた友人がAIESECのインターン生として派遣されているので、4日間くらいストップオーバーしてみる予定。

ブラジルヘアル(R$)の現金払いなので、明日、アルゼンチン航空のサンパウロ事務所に直接乗り込みます。

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お正月をどう過ごしたかは、また次の機会に、ということで。

2011年1月1日土曜日

Feliz ano novo!

Meu 2011 começou na Av. Paulista.

Tinha muita gente!!

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Agora eu tenho menos de duas semanas na empresa.

Terá saudade muito.

Mas vou tentar fazer todo o que tenho!

E depois da volta ao Japão, tentarei realizar as inspirações que eu ganhei aqui no Brasil.

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Então, primeiramente queria dizer: "Akemashite omedetou gozaimasu - "um feliz ano novo" em japonês.

2010年12月31日金曜日

洗濯

インターン先の会社も流石に大晦日出勤という事態は回避し、昨日無事に仕事納めということに相成った。

クリスマス前と同様、終業時間の到来とともに「Feliz Ano Novo!」といって互いに抱き合い、挨拶を交わす。

その後のHappy Hourの人数はそんなに多くなかったけれど、楽しむことが出来た。

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さて、今朝は起床の後に洗濯をした。

洗濯機は共用なので、今日のように忘れっぱなしにすると次に使いたい人が困ってしまう。

しかし次の人にも何も手段が残されていないというわけではなく、洗濯機の中身を脇にのけるという強行手段がある。

そして今日、僕の洗濯ものはその対象となった。

そのこと自体は、むしろこちらの負い目なのだが、気になったのはその強制執行に打って出た側の言葉だった。



「男の子はなんでもかんでも一緒に洗っちゃうよね」



うーむ、確かによく下着もシャツも靴下もひっくるめて洗っていますが、それって効率を考えたら普通のことなのでは。。。

それに色モノや白いワイシャツ等は別にして洗っていますが、、、、



他の人がどのように洗濯しているのか、ふと気になった、そんな12月31日でした。


(大晦日だというのに日常ネタなのは、あまり非日常性を感じないので仕方がない。今日は15時くらいまでいい天気だった!)

2010年12月29日水曜日

韓國館

昨日の夜は久しぶりに夕食に連れていっていただいた。

年末で休暇に入っている人が多いせいか、平日にもかかわらずいつもより人が多い。特に家族連れが目立つ。

またとなりの席で食べていた団体さんが、どうやら韓国人と日本人が半々の比率でいらした模様で、そんな会社があるのかと非常に気になった。

地下鉄Libardadeの駅から歩いて2分もかからないこの店は、本場の味を出してくる。

もちろん韓国で食べる韓国料理とは比べられない(そもそも韓国に行ったことがない)が、ジンギスカンの肉に下ごしらえをしている点、キムチなど辛い料理を普通に出してくれる点が好評価である。

連れてきていただくたびに食べ過ぎてしまう気がする。

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「会社は人である。」

この言葉を先週と今週で2回も聞かされた。もちろん別の人からである。

インターン先における登用・教育の話をしていた。

その方自身はご自分の考えを上申するつもりはないという立場だが、それでもいろいろ考えさせられる。

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また別のところで聞いた話であるが、サムスンは将来のブラジル駐在員を若いうちから研修と称して1年ほどブラジルに送りこみ、仕事をさせるでもなく、ひとまずブラジルという風土に慣れさせるらしい。

そして一度帰国させて韓国で一通りの訓練をしたのち、本番の駐在として長期にわたって派遣する。

このサイクルは長期的な成長を見込んだ人材戦略だと言える。

ところが日系企業はどうか。

少なくとも自分の知る限りでは人材戦略が現地支店と日本本店とで分断されているように思われる。

もちろん例外企業もある。


有望な人材をどんどん外に出して「やらせてみる」度量が必要なのではないか。


本店と支店を貫く戦略を考えられるためには、トップに立つべき人間が支店の現場を知らなくてはいけないのだろう。

2010年12月26日日曜日

Feliz Natal

英語だとMerry Chiristmas and a Happy New Yearなのだが、こちらではFeliz Natal e um Feliz Ano Novoである。

同じアルファベットの言葉とはいえ、ポルトガル語で表現するのはそれを母語としている人たちからしたら当然のことであるが、違和感は否めない。

どういうことかと考えてみれば、日本の宣伝広告に洗脳されている立場としては、やはり英語の、そしてアメリカの影響が強いのだと、こんなところで思わされる。

「We wish a Merry Christmas. We wish a Merry Christmas. We wish a Merry Christmas and a Happy New Year~♪」のフレーズが頭に焼き付いており、挨拶しようとするとこれらの英語が口から出そうになるのに気がつき、口をつぐむ自分がいる。

違和感つながりで言えば、亜熱帯における夏の時期にこの一大イベントを迎えていることも違和感を感じる一つの要因であることは間違いない。

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今週末は2泊3日でBauruという街の友人の家にお邪魔している。サンパウロから西北にバスで4時間ほどいったところである。

金曜日の朝9時のサンパウロBarra Fundaバスターミナル発のバスでバウルについたのが13時40分くらい。

バスを降りて券売り場の方に行くと、友人とその叔母さんが迎えに来てくれていた。帰りのバスの切符を買って、そのままおばあちゃまのお宅へ。でかい。

少し遅い昼食を友人の1親等以内の家族とともに外のレストランに食べに行った後、家で友人の書類作成(日本語)を手伝う。

そしてメインの一族全体の集いは夜の11時過ぎにやってきた。会場のおじさん宅に行ってみると総勢30人以上はいたものと思われる。大家族だ。

そもそも友人のお母さんが5人兄弟で、その子どもたちがそれぞれ2人~3人、さらにその子ども(孫)の世代も5人くらいきていた。パートナーたちも含めればそんな数字になるのである。

基本的にポルトガルの血の家なので日本人は珍しいらしく、いろいろ尋ねられた。

特に宗教に関する質問は考えさせられたが、その話はまた今度。

とにもかくにも、田舎に帰って一族団欒を楽しむ、そんな場を垣間見させてもらった。

家族同士でプレゼントを交換し、ご飯と酒を共に摂りながら語り明かす。それが僕の見たNatalであった。

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あと1時間半でサンパウロへ出発だ。

2010年12月23日木曜日

make.believe

23日はサンパウロ市大水路内北西部にあるBarra Fundaにいった。

目的は某電機メーカーの社屋訪問である。

企業としてブラジルに参入したのは1973年とのことで、訪問したサンパウロの営業オフィスも400人規模(我が社の約13倍!)という。建物が綺麗で大きかった。

最初に通していただいたのは、会議室。

ブラジル人のマネジメント層の方がこのブラジルでのプレゼンスについてプレゼンをしてくださり、それに社長さん(50歳くらいの日本人の方)が適宜補足を入れてくださる、という豪華な時間を過ごした。

何よりプレゼンをしてくれた方の英語が聞きとりやすく、街中で英語が通じないブラジルなのに、という意味で感動した。教育にお金がかかっているに違いない。

一通りプレゼンが終わった後は、質疑応答をし、さらにオフィス内部を軽く見学させてもらった。

見学があっという間だったのは、時間的にお昼時だったせいと、そもそもクリスマス前で休暇を取ってる人が多いからだ。

人が少なかったので逆にオフィス内の空間の広がりが印象的だった。50人~80人ほどのフロアがいくつもあり、とにかくでかかった。

見学が終わると昼食に連れていっていただいた。近くの食堂は混んでいたので、社長さんの車で一路Ana Rosaのとんかつ定食屋「味彩」へ。

久しぶりの美味に舌鼓を打ちつつ、社長さんとの会話を楽しませていただいた。

ありがとうございました。

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・サンパウロ:400人、マナウス:1000人

・09会計年度は-9%、10会計年度は+67%

・グローバルHQとの直接的な指揮系統下にある、世界で5つしかない販社のうちの一つ

・他の中南米諸国はマイアミが管轄し、それをグローバルHQへ吸い上げる

・グループ企業体としてグローバルHQとの意志疎通に力を入れている:世界中の意志決定者たちをサンパウロに集めて2日間の集中討議

・パラグアイからの並行輸入を阻止する予定

・「客がいなければ店の外に出る」営業:ブラジル全土600人のプロモーター⇒競合にはない強み

・特にテレビの販売実績を飛躍させ、No.1を目指す

・全人口の46%を占めるCレベルの人たちへの浸透

・田舎の見本市で実施したハウスシアター30日お試しキャンペーンの成果:99%

・Defect Ratio:不良率

OEM/ODMをうまく使って効率化

・工員は一定のトレーニングを受けたのち、数日の導入でどのラインにでも行けるようになっている⇒ブラジル独自の効率化

・マナウスだけで116モデル(半数はLCD製品)

・それ以外のハイエンドモデル等の少数高利益商品は輸入でカバー

・「箱を売る」から「箱を売らなくても儲かる」へ

・語学を会社がバックアップ:試験等を課してチェックする

・定期採用は難しく、年間2人くらい

・それでも着任当初に比べ定着率は向上している

・「今後自分で起業したり他の会社の重役になるような人たちだから、この会社で働いて良かったと思わせたい」

22/12

今日は久しぶりに仕事が捗った気がする。

それは他人と一緒にやらなければいけない仕事に目処がついたからかもしれない。

新しい仕事が降ってきたところで、今日の就業は時間切れ。

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今日の昼は例の中国人研修生のお別れ会と称して社長さん・副社長さん・中国人研修生・我等日本人研修生2名でBahia料理のお店で食事をした。

Bahiaというとブラジルの東北部に位置する、風光明媚な海岸リゾート地帯として有名な州である。

歴史的に黒人奴隷の導入によって栄えた地域なので、文化的にもアフリカ文化が根強いらしい。

やはり海岸地帯の料理ということでメインは、Moqueca(モケッカ)という名前の魚介類を煮込んだものだった。

基本的には皿の上にシチューと米をよそって食べる。

しかし、さらにFarofa(ファローファ)と呼ばれるトウモロコシ粉やら小麦粉を混ぜたものや、魚を煮込んだスープ、タバスコなどを混ぜ合わせると絶妙な味わいを醸し出し、非常においしかった。

普段こちらで口にするものはほとんど単純な味なので、こうした深みのある味というのは希有であり、重宝する。

日本だとスープのだしをとったり、一品つくるための段取りがいくつもあるが、こちらではそういう発想はないのだと思われる。

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そして仕事を終えたのちは今までお世話になったAIESEC USPの現財務責任者のお別れパーティに参加するためバスに乗って一路西へ。

この12月で任期を終えたのちは、アルゼンチンで2ヶ月間NGOインターンシップに臨むとのこと。

ひょっとしたら旅行中に会えるかもしれないねと言って、お別れをした。

Boa viagem!

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バスに乗って家へ帰ろうとしたところ、気が付いたら停留所を一つ通り過ぎていた。

しかたないのでそこから歩いて帰ったのだが、脇のランショネチ(ブラジル版定食屋)に同じ宿の人たちが飲んでいるところに遭遇し、合流した。

この日の夜、宿の施設を使ってドキュメンタリー映像の上映会をしていたらしいのだが、その後の打ち上げということだったようである。

そのドキュメンタリーをつくった方も一緒にいらした。

実は現在、同じ宿に住んでいる人(日本人の幼稚園の先生)の友人(ブラジル人)のおじいさんについて、宿の一部の人で盛り上がっている。

そのおじいさんが、ブラジル陸軍の元軍人で1930年代に2年にわたって日本で生活をしたことのある方(当時の)で、その当時の資料がリオ・デジャネイロの家に残っているらしいのだ。

その話をドキュメンタリー作家の方にしたところ、ここでも少し盛り上がった。

彼曰く、まずその元軍人さんの写真の中に板垣征四郎などと一緒に写っているものがあり、日中戦争に観戦武官として派遣されていたのではないかということ。

加えて、史料としての価値も日伯関係史の文脈で大きいのではないかとのこと。

個人的には、その元軍人さんが日本について書いたという3冊の本のコピーをほしいと主張している。

歴史的な資料は相応の機関に預けるのが、史料・その所有者・世の中のためになると思う。

2010年12月20日月曜日

ググる

先週末のこと、季節指標を作るための準備としてブラジルにおける一大イベントの日付を確認していた。

すなわち「Copa do mundo(サッカー・ワールドカップ)」と「Carnaval(カーニバル)」である。

季節指標とは売上の予測を出すための指標であり、過去の市場実績を基に作られる。

しかし上記イベントに際しては市場全体が著しく停滞するので(年間実績の2~3%くらい?)、それらのイベントが何時あったのかを把握し、指標作成の際に考慮しなければならない。

この時やっていたのは、市場実績のデータが業界団体からなかなか来ないので、準備として修正に必要な日付くらいは確認しておこうということである。

前者はWikipedia上で開会日から閉会日まで詳細な情報に直ぐアクセスできる。しかも4年に1度のことなのでそんなに情報量は多くない。

しかし問題は後者であった。

毎年あるイベントなのに、年によって違うらしいという以上のことは誰もわからないようだった。

ところが、である。

こちらでの生活が長い日系準二世の方に相談していたところ、なんと脇で様子を見ていた財務部の同僚がカーニバルの祝日算出のためのロジックを示すためにサクッとググってくれたのだった。

いつも冗談ばかり言っている奴で、しかも一緒に仕事をする機会はなかったので、この知的営為をいとも簡単にこなす奴だとは思っていなかった。いい意味で期待を裏切られた。

ブラジルで長年生活している人ですら詳しくは知らないような情報を、そうしてWeb上から簡単に引用してくれた。(個人的にはポルトガル語だと未だ難しいので、余計感動した。)

もちろん財務というExcel関数をよく使うという仕事の性質上、そうした行為に慣れているということもあるかもしれない。

しかし、ググることを知っているということは、そうして自分の欲する知識を獲得できるということを知っているということであり、知識獲得の作法を体得していると僕の眼に映ったのである。

よく言われることだが、メモリなんてものは機械がいくらでも代用してくれるわけで、この先人間に問われるのは、如何に情報を組み合わせて新たなものを創っていくかということなんだろうと思う。

その「組み合わせる」という行為の前提としての、組み合わせる要素を見つ出してくること。

ググるとはそういうことなのではないかと思われる。(ちょっと乱暴な議論ですが。。。)


<今日の結論>

・自分ひとりでWeb上から知識を獲得できる術を知っている人は応用が利く。

カーニバルは結局イースターの47日前であり、太陰暦に基づいているため2月4日から3月9日までぶれる。2011年は3月8日。

2010年12月19日日曜日

恐怖

ゴキブリが、である。

我が住居である鹿児島県人会館は緑の地下鉄のクリニカス駅から市営墓地沿いに10分弱あるいて行ったところにある。

そこの墓地沿いの道端に出る。

しかもただのチャバネゴキブリよりかは一回りくらい大きめで、前足で少し立体的に構えているようなやつである。

姿勢がいいので余計威勢があるように見えるのかもしれない。

夜に通ると1回で10匹くらい見ることなどざらであり、否が応でも目に入ってくる位置にそれだけいるのだから、もう少し注意して見ればもっといるのだと思う。

もちろんいつもそんなに遭遇するというわけではないので、活発化するためには、何らかの条件があるのだと思われるが、これだけ天候が変わりやすいサンパウロなので、いまいち把握しかねている。

いずれにせよ、これから夏を迎えるので何かしら頭数は増えるものと思われるが、僕が通る際は、何とぞよしなにやり過ごしてやってほしいものである。

また逢いましょう

最近やたら深刻な記事を書いたが、幸いにして取り越し苦労に終わったようである。

今日も例によって「ポルトガル語教室」の前後で色々話していた。

某私立大学への留学のための学費工面も片がつき、一方でJETプログラムなる日本政府による語学教師の海外からの招聘事業に乗るという選択肢も捨てずに面接に参加する予定であるとのこと。

日本で働いている彼氏の太っ腹具合やそれを捨て得る可能性を残しているということに驚嘆を隠せなかったが、先週の悲壮な表情とは打って変わって希望に満ちあふれていた、その表情にこちらも安堵した。

我が帰国スケジュールについても話した。

しかし、いずれにせよ、彼女は近々日本にやってきて生活するということなので、幸か不幸か、他のブラジル人たちに対して抱くほどの重さはなく、「また逢いましょう」という軽いノリなのである。

ちなみにポルトガル語教室自体は年明けも執り行う予定である。



そんな彼女との会話の中で気になったのは「ブラジルの外の国は沢山あるのに何で日本に興味があるのか自分でもわからない」という言葉。

彼女はEspírito(Spirit)の導きであるという言葉を使っていたが、つまるところ直感である。

外国で生活するというと大半の日本人からすると大層な決意が必要なものであるように捉えられているように思う。自分もそうだった。

しかしミクロで見れば、最終的に人を動かすのは直感なのではないだろうか。

「これ、面白い!」という直感を失くさずに生きたい。

A gente tem que explorar...

納税者IDを用いたデータマイニング

CPFと言えば、以前書いたように、ブラジルにおける納税者IDのことであり、無理やり日本語に直せば「自然人登録」とでもなろう。

これと同様のものを法人に当てはめたのがCNPJであり、CPFと併せて法的に大きな意味を持つID番号となっている。

そもそもの制度の背景など、ちょっとかじった程度の知識をひけらかしても仕方がないので、今現在、これらの数字たちとどのようにつき合っているのかを記したい。

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これまた以前書いたように、インターンシップの仕事内容として主に顧客情報管理ということをやっている。

目下やってきたのは、マーケティング部独自の顧客調査の実装であり、安定的な運用であった。

しかし商売をしている以上、絶対不可欠な顧客情報というものもあり、それは上記の、いわゆる顧客調査より、はるかに現場に近い部署・顧客との接点からあがってくる。

そこで出てくるのがCPF/CNPJといった納税者IDであり、もちろんインターン先企業の製品のように高価な買い物(※)をする際には必ず提示しなければならないのである。

もちろん当社の顧客データベースにもCPF/CNPJの欄があり、売り上げの分だけID番号が登録される仕組みになっている。

では、これら納税者IDを用いて何が出来るかということだが、納税者IDを鍵として全く別のデータベースを統合することが出来るのである。

例えば、現時点で我が社がやっている顧客調査として、顧客プロファイル・サービス満足度・製品満足度の3つがある。これに保証システムの顧客基礎情報を加えると4つのデータベースを持っていることになる。

納税者IDを媒介として、これら4つのデータベースの情報を統合することが可能で、現に統合している。

では、それを具体的にどのような局面で用いて、どんないいことがあったのかということは、機密に抵触すると思うのでここでは書かない。

(※基準はよくわからないが、食品や衣類等一般消費財の購入以外では基本的に提示しなければいけないイメージ)

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代わりに将来的にどのようにしたいか、というイメージだけ記す。

つまるところ、顧客の消費情報とクロスして戦略策定に活かしたいということである。

クレジットカード社会のブラジルでは、カード払いが日常茶飯事だ。

昼食も近所のスーパーへの買い出しもカード払いで済ませてしまう。

したがって、クレジットカード会社が持っている情報は膨大で、カード利用者の金銭取引をかなり詳細まで把握できるものと考えられる。

それだけの情報にアクセスすることが出来れば、その人がどんな商品に金を出すのか、そうすれば買おうと思わせることが出来るのか、見えてくるはずだということである。

以上のイメージは、GoogleやAmazonなど有名どころが何年も前からやっていることで、いわゆるデータマイニングとかいった概念の適用でしかない。

しかし、ここブラジルであれば、その納税者IDを機会としてインターン先企業の業界でも導入できるのではないかと考えている。(ひょっとしたら大手競合は既にやっているかもしれないけれど。。。)

自分がやっているのは、そうした状況を実現するための、ほんのわずかなことでしかないが、夢は大きく、自分が会社を去った後の動向が気になる所である。


2010年12月17日金曜日

Time to say good bye

Agora a gente mudará de posição.

Alguém vai e outro vem.

Eu também.

Eu voltarei ao Japão em fevereiro que vem.

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Hoje teve um evento da AIESEC USP na FEA, USP, chamado "The Day".

Primeiramente a gente apresentou sobre o que aconteceu na CONAL, uma conferência nacional da AIESEC no Brasil.

E depois, tivemos pizzas e bebidas em outro lugar na faculdade.

Finalmente, a gente trocou presentes na forma de "Amigos Secretos". Ganhei um vinho!

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No final, falei com a mulher do Canadá que voltará ao país.

Ela fala mais de quatro linguas: italiano, inglês, francês, espanhol e agora, português.

Agredeci e dei "muito obrigado" para ela. Fiquei satisfeito no momento.

E aí, falei sobre o manga "CESARE: Il Creatore che ha distrutto".

Esse manga é muito interessante porque mostra muitos detalhes de acordo com as pesquisas que a autora faz.

No momento, ela falou pra mim "Devagar e sempre. Você pode aprender devagar mas pouco a pouco".

Eu fico com uma invejinha, mas me diverto quando falo com ela.

Agora estou interessado no mundo da família das linguas românicas.


2010年12月15日水曜日

残り1か月

きった。

とはいうものの、特に記事にするようなことはしていない。

いつものように出社し、仕事をこなし、退社する。

強いて言えば、こちらでお世話になった人たちへのあいさつ回りの準備を始めたというところか。


某社社長さんはメール後30分でお返事をいただいた。それだけで感動。


某公共放送のサンパウロ支局にも訪問することになっている。

唯一の駐在員さんは現在出張中でクリスマスに戻ってくるとのこと。お疲れ様です。


また、以前から行きたいとこのブログでも書いていた東山農場についても少しずつ動き始めている。

担当の方に問い合わせたところ、先方の社長さんにもつないでいただけるかもしれないとのこと。

返答が待ち遠しい。


そろそろいろんな書類(報告書の類)を作らなくては、と思い始めました。


参考:最近見つけたブラジル関連の記事。

ソニー・ブラジルの社長さんの記事

東山農場の社長さんによる記事


2010年12月14日火曜日

Ideograma

日本語がポルトガル語に取り込まれていることが多々ある。

単に日系が先に来たというだけのことかもしれない。

Como exemplos de escritas ideográficas, podemos citar os hieróglifos do antigo Egito, a escrita linear B de Creta e a escrita maia, assim como os caracteres kanji utilizados em chinês e japonês.