2010年12月31日金曜日

洗濯

インターン先の会社も流石に大晦日出勤という事態は回避し、昨日無事に仕事納めということに相成った。

クリスマス前と同様、終業時間の到来とともに「Feliz Ano Novo!」といって互いに抱き合い、挨拶を交わす。

その後のHappy Hourの人数はそんなに多くなかったけれど、楽しむことが出来た。

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さて、今朝は起床の後に洗濯をした。

洗濯機は共用なので、今日のように忘れっぱなしにすると次に使いたい人が困ってしまう。

しかし次の人にも何も手段が残されていないというわけではなく、洗濯機の中身を脇にのけるという強行手段がある。

そして今日、僕の洗濯ものはその対象となった。

そのこと自体は、むしろこちらの負い目なのだが、気になったのはその強制執行に打って出た側の言葉だった。



「男の子はなんでもかんでも一緒に洗っちゃうよね」



うーむ、確かによく下着もシャツも靴下もひっくるめて洗っていますが、それって効率を考えたら普通のことなのでは。。。

それに色モノや白いワイシャツ等は別にして洗っていますが、、、、



他の人がどのように洗濯しているのか、ふと気になった、そんな12月31日でした。


(大晦日だというのに日常ネタなのは、あまり非日常性を感じないので仕方がない。今日は15時くらいまでいい天気だった!)

2010年12月29日水曜日

韓國館

昨日の夜は久しぶりに夕食に連れていっていただいた。

年末で休暇に入っている人が多いせいか、平日にもかかわらずいつもより人が多い。特に家族連れが目立つ。

またとなりの席で食べていた団体さんが、どうやら韓国人と日本人が半々の比率でいらした模様で、そんな会社があるのかと非常に気になった。

地下鉄Libardadeの駅から歩いて2分もかからないこの店は、本場の味を出してくる。

もちろん韓国で食べる韓国料理とは比べられない(そもそも韓国に行ったことがない)が、ジンギスカンの肉に下ごしらえをしている点、キムチなど辛い料理を普通に出してくれる点が好評価である。

連れてきていただくたびに食べ過ぎてしまう気がする。

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「会社は人である。」

この言葉を先週と今週で2回も聞かされた。もちろん別の人からである。

インターン先における登用・教育の話をしていた。

その方自身はご自分の考えを上申するつもりはないという立場だが、それでもいろいろ考えさせられる。

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また別のところで聞いた話であるが、サムスンは将来のブラジル駐在員を若いうちから研修と称して1年ほどブラジルに送りこみ、仕事をさせるでもなく、ひとまずブラジルという風土に慣れさせるらしい。

そして一度帰国させて韓国で一通りの訓練をしたのち、本番の駐在として長期にわたって派遣する。

このサイクルは長期的な成長を見込んだ人材戦略だと言える。

ところが日系企業はどうか。

少なくとも自分の知る限りでは人材戦略が現地支店と日本本店とで分断されているように思われる。

もちろん例外企業もある。


有望な人材をどんどん外に出して「やらせてみる」度量が必要なのではないか。


本店と支店を貫く戦略を考えられるためには、トップに立つべき人間が支店の現場を知らなくてはいけないのだろう。

2010年12月26日日曜日

Feliz Natal

英語だとMerry Chiristmas and a Happy New Yearなのだが、こちらではFeliz Natal e um Feliz Ano Novoである。

同じアルファベットの言葉とはいえ、ポルトガル語で表現するのはそれを母語としている人たちからしたら当然のことであるが、違和感は否めない。

どういうことかと考えてみれば、日本の宣伝広告に洗脳されている立場としては、やはり英語の、そしてアメリカの影響が強いのだと、こんなところで思わされる。

「We wish a Merry Christmas. We wish a Merry Christmas. We wish a Merry Christmas and a Happy New Year~♪」のフレーズが頭に焼き付いており、挨拶しようとするとこれらの英語が口から出そうになるのに気がつき、口をつぐむ自分がいる。

違和感つながりで言えば、亜熱帯における夏の時期にこの一大イベントを迎えていることも違和感を感じる一つの要因であることは間違いない。

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今週末は2泊3日でBauruという街の友人の家にお邪魔している。サンパウロから西北にバスで4時間ほどいったところである。

金曜日の朝9時のサンパウロBarra Fundaバスターミナル発のバスでバウルについたのが13時40分くらい。

バスを降りて券売り場の方に行くと、友人とその叔母さんが迎えに来てくれていた。帰りのバスの切符を買って、そのままおばあちゃまのお宅へ。でかい。

少し遅い昼食を友人の1親等以内の家族とともに外のレストランに食べに行った後、家で友人の書類作成(日本語)を手伝う。

そしてメインの一族全体の集いは夜の11時過ぎにやってきた。会場のおじさん宅に行ってみると総勢30人以上はいたものと思われる。大家族だ。

そもそも友人のお母さんが5人兄弟で、その子どもたちがそれぞれ2人~3人、さらにその子ども(孫)の世代も5人くらいきていた。パートナーたちも含めればそんな数字になるのである。

基本的にポルトガルの血の家なので日本人は珍しいらしく、いろいろ尋ねられた。

特に宗教に関する質問は考えさせられたが、その話はまた今度。

とにもかくにも、田舎に帰って一族団欒を楽しむ、そんな場を垣間見させてもらった。

家族同士でプレゼントを交換し、ご飯と酒を共に摂りながら語り明かす。それが僕の見たNatalであった。

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あと1時間半でサンパウロへ出発だ。

2010年12月23日木曜日

make.believe

23日はサンパウロ市大水路内北西部にあるBarra Fundaにいった。

目的は某電機メーカーの社屋訪問である。

企業としてブラジルに参入したのは1973年とのことで、訪問したサンパウロの営業オフィスも400人規模(我が社の約13倍!)という。建物が綺麗で大きかった。

最初に通していただいたのは、会議室。

ブラジル人のマネジメント層の方がこのブラジルでのプレゼンスについてプレゼンをしてくださり、それに社長さん(50歳くらいの日本人の方)が適宜補足を入れてくださる、という豪華な時間を過ごした。

何よりプレゼンをしてくれた方の英語が聞きとりやすく、街中で英語が通じないブラジルなのに、という意味で感動した。教育にお金がかかっているに違いない。

一通りプレゼンが終わった後は、質疑応答をし、さらにオフィス内部を軽く見学させてもらった。

見学があっという間だったのは、時間的にお昼時だったせいと、そもそもクリスマス前で休暇を取ってる人が多いからだ。

人が少なかったので逆にオフィス内の空間の広がりが印象的だった。50人~80人ほどのフロアがいくつもあり、とにかくでかかった。

見学が終わると昼食に連れていっていただいた。近くの食堂は混んでいたので、社長さんの車で一路Ana Rosaのとんかつ定食屋「味彩」へ。

久しぶりの美味に舌鼓を打ちつつ、社長さんとの会話を楽しませていただいた。

ありがとうございました。

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・サンパウロ:400人、マナウス:1000人

・09会計年度は-9%、10会計年度は+67%

・グローバルHQとの直接的な指揮系統下にある、世界で5つしかない販社のうちの一つ

・他の中南米諸国はマイアミが管轄し、それをグローバルHQへ吸い上げる

・グループ企業体としてグローバルHQとの意志疎通に力を入れている:世界中の意志決定者たちをサンパウロに集めて2日間の集中討議

・パラグアイからの並行輸入を阻止する予定

・「客がいなければ店の外に出る」営業:ブラジル全土600人のプロモーター⇒競合にはない強み

・特にテレビの販売実績を飛躍させ、No.1を目指す

・全人口の46%を占めるCレベルの人たちへの浸透

・田舎の見本市で実施したハウスシアター30日お試しキャンペーンの成果:99%

・Defect Ratio:不良率

OEM/ODMをうまく使って効率化

・工員は一定のトレーニングを受けたのち、数日の導入でどのラインにでも行けるようになっている⇒ブラジル独自の効率化

・マナウスだけで116モデル(半数はLCD製品)

・それ以外のハイエンドモデル等の少数高利益商品は輸入でカバー

・「箱を売る」から「箱を売らなくても儲かる」へ

・語学を会社がバックアップ:試験等を課してチェックする

・定期採用は難しく、年間2人くらい

・それでも着任当初に比べ定着率は向上している

・「今後自分で起業したり他の会社の重役になるような人たちだから、この会社で働いて良かったと思わせたい」

22/12

今日は久しぶりに仕事が捗った気がする。

それは他人と一緒にやらなければいけない仕事に目処がついたからかもしれない。

新しい仕事が降ってきたところで、今日の就業は時間切れ。

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今日の昼は例の中国人研修生のお別れ会と称して社長さん・副社長さん・中国人研修生・我等日本人研修生2名でBahia料理のお店で食事をした。

Bahiaというとブラジルの東北部に位置する、風光明媚な海岸リゾート地帯として有名な州である。

歴史的に黒人奴隷の導入によって栄えた地域なので、文化的にもアフリカ文化が根強いらしい。

やはり海岸地帯の料理ということでメインは、Moqueca(モケッカ)という名前の魚介類を煮込んだものだった。

基本的には皿の上にシチューと米をよそって食べる。

しかし、さらにFarofa(ファローファ)と呼ばれるトウモロコシ粉やら小麦粉を混ぜたものや、魚を煮込んだスープ、タバスコなどを混ぜ合わせると絶妙な味わいを醸し出し、非常においしかった。

普段こちらで口にするものはほとんど単純な味なので、こうした深みのある味というのは希有であり、重宝する。

日本だとスープのだしをとったり、一品つくるための段取りがいくつもあるが、こちらではそういう発想はないのだと思われる。

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そして仕事を終えたのちは今までお世話になったAIESEC USPの現財務責任者のお別れパーティに参加するためバスに乗って一路西へ。

この12月で任期を終えたのちは、アルゼンチンで2ヶ月間NGOインターンシップに臨むとのこと。

ひょっとしたら旅行中に会えるかもしれないねと言って、お別れをした。

Boa viagem!

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バスに乗って家へ帰ろうとしたところ、気が付いたら停留所を一つ通り過ぎていた。

しかたないのでそこから歩いて帰ったのだが、脇のランショネチ(ブラジル版定食屋)に同じ宿の人たちが飲んでいるところに遭遇し、合流した。

この日の夜、宿の施設を使ってドキュメンタリー映像の上映会をしていたらしいのだが、その後の打ち上げということだったようである。

そのドキュメンタリーをつくった方も一緒にいらした。

実は現在、同じ宿に住んでいる人(日本人の幼稚園の先生)の友人(ブラジル人)のおじいさんについて、宿の一部の人で盛り上がっている。

そのおじいさんが、ブラジル陸軍の元軍人で1930年代に2年にわたって日本で生活をしたことのある方(当時の)で、その当時の資料がリオ・デジャネイロの家に残っているらしいのだ。

その話をドキュメンタリー作家の方にしたところ、ここでも少し盛り上がった。

彼曰く、まずその元軍人さんの写真の中に板垣征四郎などと一緒に写っているものがあり、日中戦争に観戦武官として派遣されていたのではないかということ。

加えて、史料としての価値も日伯関係史の文脈で大きいのではないかとのこと。

個人的には、その元軍人さんが日本について書いたという3冊の本のコピーをほしいと主張している。

歴史的な資料は相応の機関に預けるのが、史料・その所有者・世の中のためになると思う。

2010年12月20日月曜日

ググる

先週末のこと、季節指標を作るための準備としてブラジルにおける一大イベントの日付を確認していた。

すなわち「Copa do mundo(サッカー・ワールドカップ)」と「Carnaval(カーニバル)」である。

季節指標とは売上の予測を出すための指標であり、過去の市場実績を基に作られる。

しかし上記イベントに際しては市場全体が著しく停滞するので(年間実績の2~3%くらい?)、それらのイベントが何時あったのかを把握し、指標作成の際に考慮しなければならない。

この時やっていたのは、市場実績のデータが業界団体からなかなか来ないので、準備として修正に必要な日付くらいは確認しておこうということである。

前者はWikipedia上で開会日から閉会日まで詳細な情報に直ぐアクセスできる。しかも4年に1度のことなのでそんなに情報量は多くない。

しかし問題は後者であった。

毎年あるイベントなのに、年によって違うらしいという以上のことは誰もわからないようだった。

ところが、である。

こちらでの生活が長い日系準二世の方に相談していたところ、なんと脇で様子を見ていた財務部の同僚がカーニバルの祝日算出のためのロジックを示すためにサクッとググってくれたのだった。

いつも冗談ばかり言っている奴で、しかも一緒に仕事をする機会はなかったので、この知的営為をいとも簡単にこなす奴だとは思っていなかった。いい意味で期待を裏切られた。

ブラジルで長年生活している人ですら詳しくは知らないような情報を、そうしてWeb上から簡単に引用してくれた。(個人的にはポルトガル語だと未だ難しいので、余計感動した。)

もちろん財務というExcel関数をよく使うという仕事の性質上、そうした行為に慣れているということもあるかもしれない。

しかし、ググることを知っているということは、そうして自分の欲する知識を獲得できるということを知っているということであり、知識獲得の作法を体得していると僕の眼に映ったのである。

よく言われることだが、メモリなんてものは機械がいくらでも代用してくれるわけで、この先人間に問われるのは、如何に情報を組み合わせて新たなものを創っていくかということなんだろうと思う。

その「組み合わせる」という行為の前提としての、組み合わせる要素を見つ出してくること。

ググるとはそういうことなのではないかと思われる。(ちょっと乱暴な議論ですが。。。)


<今日の結論>

・自分ひとりでWeb上から知識を獲得できる術を知っている人は応用が利く。

カーニバルは結局イースターの47日前であり、太陰暦に基づいているため2月4日から3月9日までぶれる。2011年は3月8日。

2010年12月19日日曜日

恐怖

ゴキブリが、である。

我が住居である鹿児島県人会館は緑の地下鉄のクリニカス駅から市営墓地沿いに10分弱あるいて行ったところにある。

そこの墓地沿いの道端に出る。

しかもただのチャバネゴキブリよりかは一回りくらい大きめで、前足で少し立体的に構えているようなやつである。

姿勢がいいので余計威勢があるように見えるのかもしれない。

夜に通ると1回で10匹くらい見ることなどざらであり、否が応でも目に入ってくる位置にそれだけいるのだから、もう少し注意して見ればもっといるのだと思う。

もちろんいつもそんなに遭遇するというわけではないので、活発化するためには、何らかの条件があるのだと思われるが、これだけ天候が変わりやすいサンパウロなので、いまいち把握しかねている。

いずれにせよ、これから夏を迎えるので何かしら頭数は増えるものと思われるが、僕が通る際は、何とぞよしなにやり過ごしてやってほしいものである。

また逢いましょう

最近やたら深刻な記事を書いたが、幸いにして取り越し苦労に終わったようである。

今日も例によって「ポルトガル語教室」の前後で色々話していた。

某私立大学への留学のための学費工面も片がつき、一方でJETプログラムなる日本政府による語学教師の海外からの招聘事業に乗るという選択肢も捨てずに面接に参加する予定であるとのこと。

日本で働いている彼氏の太っ腹具合やそれを捨て得る可能性を残しているということに驚嘆を隠せなかったが、先週の悲壮な表情とは打って変わって希望に満ちあふれていた、その表情にこちらも安堵した。

我が帰国スケジュールについても話した。

しかし、いずれにせよ、彼女は近々日本にやってきて生活するということなので、幸か不幸か、他のブラジル人たちに対して抱くほどの重さはなく、「また逢いましょう」という軽いノリなのである。

ちなみにポルトガル語教室自体は年明けも執り行う予定である。



そんな彼女との会話の中で気になったのは「ブラジルの外の国は沢山あるのに何で日本に興味があるのか自分でもわからない」という言葉。

彼女はEspírito(Spirit)の導きであるという言葉を使っていたが、つまるところ直感である。

外国で生活するというと大半の日本人からすると大層な決意が必要なものであるように捉えられているように思う。自分もそうだった。

しかしミクロで見れば、最終的に人を動かすのは直感なのではないだろうか。

「これ、面白い!」という直感を失くさずに生きたい。

A gente tem que explorar...

納税者IDを用いたデータマイニング

CPFと言えば、以前書いたように、ブラジルにおける納税者IDのことであり、無理やり日本語に直せば「自然人登録」とでもなろう。

これと同様のものを法人に当てはめたのがCNPJであり、CPFと併せて法的に大きな意味を持つID番号となっている。

そもそもの制度の背景など、ちょっとかじった程度の知識をひけらかしても仕方がないので、今現在、これらの数字たちとどのようにつき合っているのかを記したい。

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これまた以前書いたように、インターンシップの仕事内容として主に顧客情報管理ということをやっている。

目下やってきたのは、マーケティング部独自の顧客調査の実装であり、安定的な運用であった。

しかし商売をしている以上、絶対不可欠な顧客情報というものもあり、それは上記の、いわゆる顧客調査より、はるかに現場に近い部署・顧客との接点からあがってくる。

そこで出てくるのがCPF/CNPJといった納税者IDであり、もちろんインターン先企業の製品のように高価な買い物(※)をする際には必ず提示しなければならないのである。

もちろん当社の顧客データベースにもCPF/CNPJの欄があり、売り上げの分だけID番号が登録される仕組みになっている。

では、これら納税者IDを用いて何が出来るかということだが、納税者IDを鍵として全く別のデータベースを統合することが出来るのである。

例えば、現時点で我が社がやっている顧客調査として、顧客プロファイル・サービス満足度・製品満足度の3つがある。これに保証システムの顧客基礎情報を加えると4つのデータベースを持っていることになる。

納税者IDを媒介として、これら4つのデータベースの情報を統合することが可能で、現に統合している。

では、それを具体的にどのような局面で用いて、どんないいことがあったのかということは、機密に抵触すると思うのでここでは書かない。

(※基準はよくわからないが、食品や衣類等一般消費財の購入以外では基本的に提示しなければいけないイメージ)

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代わりに将来的にどのようにしたいか、というイメージだけ記す。

つまるところ、顧客の消費情報とクロスして戦略策定に活かしたいということである。

クレジットカード社会のブラジルでは、カード払いが日常茶飯事だ。

昼食も近所のスーパーへの買い出しもカード払いで済ませてしまう。

したがって、クレジットカード会社が持っている情報は膨大で、カード利用者の金銭取引をかなり詳細まで把握できるものと考えられる。

それだけの情報にアクセスすることが出来れば、その人がどんな商品に金を出すのか、そうすれば買おうと思わせることが出来るのか、見えてくるはずだということである。

以上のイメージは、GoogleやAmazonなど有名どころが何年も前からやっていることで、いわゆるデータマイニングとかいった概念の適用でしかない。

しかし、ここブラジルであれば、その納税者IDを機会としてインターン先企業の業界でも導入できるのではないかと考えている。(ひょっとしたら大手競合は既にやっているかもしれないけれど。。。)

自分がやっているのは、そうした状況を実現するための、ほんのわずかなことでしかないが、夢は大きく、自分が会社を去った後の動向が気になる所である。


2010年12月17日金曜日

Time to say good bye

Agora a gente mudará de posição.

Alguém vai e outro vem.

Eu também.

Eu voltarei ao Japão em fevereiro que vem.

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Hoje teve um evento da AIESEC USP na FEA, USP, chamado "The Day".

Primeiramente a gente apresentou sobre o que aconteceu na CONAL, uma conferência nacional da AIESEC no Brasil.

E depois, tivemos pizzas e bebidas em outro lugar na faculdade.

Finalmente, a gente trocou presentes na forma de "Amigos Secretos". Ganhei um vinho!

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No final, falei com a mulher do Canadá que voltará ao país.

Ela fala mais de quatro linguas: italiano, inglês, francês, espanhol e agora, português.

Agredeci e dei "muito obrigado" para ela. Fiquei satisfeito no momento.

E aí, falei sobre o manga "CESARE: Il Creatore che ha distrutto".

Esse manga é muito interessante porque mostra muitos detalhes de acordo com as pesquisas que a autora faz.

No momento, ela falou pra mim "Devagar e sempre. Você pode aprender devagar mas pouco a pouco".

Eu fico com uma invejinha, mas me diverto quando falo com ela.

Agora estou interessado no mundo da família das linguas românicas.


2010年12月15日水曜日

残り1か月

きった。

とはいうものの、特に記事にするようなことはしていない。

いつものように出社し、仕事をこなし、退社する。

強いて言えば、こちらでお世話になった人たちへのあいさつ回りの準備を始めたというところか。


某社社長さんはメール後30分でお返事をいただいた。それだけで感動。


某公共放送のサンパウロ支局にも訪問することになっている。

唯一の駐在員さんは現在出張中でクリスマスに戻ってくるとのこと。お疲れ様です。


また、以前から行きたいとこのブログでも書いていた東山農場についても少しずつ動き始めている。

担当の方に問い合わせたところ、先方の社長さんにもつないでいただけるかもしれないとのこと。

返答が待ち遠しい。


そろそろいろんな書類(報告書の類)を作らなくては、と思い始めました。


参考:最近見つけたブラジル関連の記事。

ソニー・ブラジルの社長さんの記事

東山農場の社長さんによる記事


2010年12月14日火曜日

Ideograma

日本語がポルトガル語に取り込まれていることが多々ある。

単に日系が先に来たというだけのことかもしれない。

Como exemplos de escritas ideográficas, podemos citar os hieróglifos do antigo Egito, a escrita linear B de Creta e a escrita maia, assim como os caracteres kanji utilizados em chinês e japonês.



やりがいってなんだろう

求められるアウトプットを出すことと、やりたいアウトプットを出すことは全く別物である。

両者が一致している人はそんなにいないらしいが、では何故両者が一致しなかったときに何が起こるのか、それは果たしていけないことなのか。

一時的なわがままでしかないのではなかろうか、等など。

2010年12月13日月曜日

Cesare

今日は友達を訪ねてサンパウロからバスで1時間半ほどのカンピーナス(Campinas)を訪れた。

サンパウロに比べて日陰が少ないことに加え、夏の通り雨(Chuva de verão)もあり、ひたすら蒸し暑かった。でも交通は渋滞もなく軽快。

ショッピングセンターで昼食を食べたのち(我が社のディーラーが展示ブースを出展中だった!)、東山農場の下見をして、最終的には友達の家でゲームをして親睦を深めるという和やかな1日だった。

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翻って、昨日の会社の方のお宅でのパーティについて。

14時開始という事前通達とは裏腹に人が集まるのに時間がかかったことを除けば、盛況であった。ブラジル時間なんてそんなものではあるのだが。

総務・人事系の方なのでその部署の人たちと日本人つながりという事で我々研修生も呼んでいただき、大いに食べ、飲ませていただいた。

18時を過ぎて第一団が帰宅し、さらに一時間ほどして、自分を除いて全員が帰ってしまった。

その後は家主ご夫妻としばし歓談。結局2時間くらい唯一の客としてお邪魔させていただいた。

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宴もたけなわ、第二団が帰るというときにたびたびお宅にお邪魔している方に「帰る前にもう一度我が家に来い」と声をかけてもらった。

自分と同じくらいの娘がいるその人はその奥さん(こちらが会社の同僚)と共に非常に懐の深い方である。

声をかけてもらったのは、そろそろ自分が帰るということを告げたためである。

saudadeという言葉をしきりにかけてもらった。(実はこの言葉の用法は未だよくわかっていない。)

口先だけの言葉ではなく、心のそこから言ってもらっている(と感じる)ので喜びもひとしおである。

嬉しかった。

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家主のご夫妻と共に過ごした2時間ほどは、人生相談の様相を呈していたものの、話題自体は多岐にわたっていた。

いろいろな職場を渡り歩いていらした方なので、出張でいらっしゃるような、いわゆる「純粋培養」の従業員の方とはものの見方が違うように感じられる。

以前イグアスへ旅行に行ったとき、ある月曜日に突然直接の上司と社長の二人だけに了解をとって、会社を飛び出したということがあった。

この方は人事部長なので、後日「事前に言ってくれないと給料やらないぞ!」とやんわりと叱られた。

しかしこの日の会話の中で、ふとした拍子にこの話題があがったときの言葉は思いもよらないものであった。

曰く「あの話を聞いたときは、”よくぞ、やった”と思った」とのこと。

「次はシチリアの地に行きたい」とおっしゃるこの方に、この日、中世ヨーロッパを題材にした歴史漫画を貸していただいた。


2010年12月12日日曜日

A better job wanted !

自分が応援したいと思っていて、かつ、これから順風満帆に進んでいくだろうと思っていた人が泣きそうになっている状況で、それをただ見守ることしかない時ほど無力さを感じることはないだろう。

我がポルトガル語の先生のうちの無料でやってもらっている方は、東京の某私立大学へ留学に行くことが決まっていた。それを聞いたのが先週の事。

ところが今日顔を合わせた直後の第一声は「人生が逆さまになっちゃいそう(筆者意訳)」というものだった。

問題の根源は授業料が以前よりも値上がりしているのを突然知らされたことにあり、結果、想定よりもスムーズにことが運ばなくなったために茫然としている様子だった。

もともと自虐ネタを頻繁に口走る人なのだが、今日の授業ではあまり洒落になっていなかった。

2時間の授業の後に昼食を一緒に摂ったが、そこでもその話が中心だった。

いろいろ言葉を交わし、食後のデザート(Iogurte com framboesa!)も食べたので、少しは落ち着いたように見えた瞬間は大分ほっとしたものである。

とはいえ、「いいことあるさ、元気出そうよ!」みたいなことしか言えなかった自分の限界を感じたのも確かである。

どうやら、ここサンパウロで就いていた仕事の待遇があまりよくなかったが故の今回の出来事らしい。

その仕事もサンパウロ大学文学部日本文学専攻、東京の某有名私立大学での留学、それらの経験に基づく日本語運用能力を活かせると思っての選択だったのだそうだ。

その事実を聞いて、再びえも言われぬ切なさが積もる。

これほど賢い人が、しかも一応はその強みが活かせるからという理由で採用されたはずなのに、そんな羽目に陥らなければならないほどの給料で働かされるとは、と憤りすら感じたほどである。

今は、祈ることしかできない。

2010年12月11日土曜日

研修終了

僕のではなく、同じ顧客情報管理の仕事をしてくれていた中国人研修生の、である。

一昨日が最終日だった。

仕事としては、自分が担当していた3種類の月次報告書の作成を任せた。

9月末からの非常に短い期間だったこともあり、一つの歯車として手伝ってもらったという以上の真実は無いのではないかと思われる。

組織の中で自分で考えてアクションを起こせるようになるためには一定の時間が必要であり、「自分で考えてアクションを起こす」ためには割り振られた責任範囲を全うするためのロジックを体得する必要がある。

もちろん、マニュアルに基づいて求められたアウトプットを忠実に積み重ねていくことも大切であり、時間がない場合はそうすることが最優先事項であるが、それだけでは歯車としての存在価値しか発揮できない。

特に専門も無く短期間の研修に身を投じるということは、そうした期待値の基に働くということを受け容れるということだ。

よほど仕事の内容と自分のそれまでの経験が結びついていないと短期間での仕事は難しいということだろう。

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個人的経験に則れば、多少時間がかかってでもいいから、ゼロから試行錯誤して求められるアウトプットを形にするのが最善なのだろうと思う。

責任範囲の中で最低一つはそういう経験を持つことが出来れば、それを応用できるだろうし、自信もつく。

思い返せば、構想以外に何も無かったところに情報を残すための形式を作ったという我が研修は、まさにそうした道のりであったし、「構想以外に何も無かった」という前提条件を大義名分として試行錯誤するための時間を与えられたように思う。

試行錯誤というのは、要は「遊ぶ」時間のことである。

メーカーで言えば研究開発部門とでも喩えられよう。採算をある程度度外視して投資するからだ。

月次報告書を作るといっても3つのうち2つは僕がこの会社に来てからデータを回収し始めたので、したがってその2つの報告書については上司たちに相談しながらゼロから形にしていった。

そして僕の場合はエクセルを用いた試行錯誤。見えやすい形式、わかりやすい情報要約、そもそも数字をどうまとめるかなどなど。

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改めて、上記を踏まえて、仕事或いは組織を引き継ぐ際にはどうしたらいいのかという問いについて考えてみたい。

一番コストがかかるものの、学習効果が高いという意味では、何もない状態で試行錯誤させ、ゆっくり形にしていくというのが理想だろう。

しかしそういう形で事を為すには何が何でも自分でやってやるという進取の気性とでも言えるような心持が必要である。

ところが人間誰しもがそんなメンタリティをもっているわけではないし、特に会社という組織にはむしろそんなものが不要である局面も多くあるのだと思われる。

では、どうしたらいいのかというところだが、仕事の一通りの流れと期待されるアウトプットのイメージを残して後継に任せる、といった辺りが落とし所なのだと思う。

途中の経過を如何に処理するかは個々人の段取りの方法があると思うし、手取り足取り教えても一方的になんやかんや言ったところで本人が体得するとは限らない。

アウトプットのイメージを示す以外は基本的に丸投げして試行錯誤させ、質問されたら応えるというのが、こなすべきオペレーションも消化できるし、本人のためにもなるだろう。


2010年12月9日木曜日

ごちそうさまでした

昨日は某社「業務部」の方に夕飯をおごっていただいた。

業務部というと会社によって全く事業領域が異なるのであろうが、昨日伺ったお話はこんなことまでやるのかといった驚きと共に印象に残っている。

加えて我が父親に程近い年齢の先方は、(途中で自主退職した父と違って)会社という組織の中で相当なキャリアを積んでいらっしゃった。

数年前に丸の内近辺での官民(学)合同の勉強会に参加されていたとのことで、生涯勉強とはこういうことを言うのだなぁとも思った。

そんな方とじっくりお話しさせていただく機会を持てたのは、ありがたい限りであった。

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果たして自分の目標達成のために周囲の評価など気にせず邁進するのか、或いは周囲の評価を基底に置きつつ目標達成のための最善策を追求するのか。

少なくとも今の自分に言えることは、このブラジルでの生活を通じてどんな国に行っても最低限生きていけるイメージは描けるようになったのではないかという事である。

さらに先方から投げられたボールを自分なりにキャッチして投げ返すことが出来ていたのではないかと思う。

まだ研修が終わったわけではないが、今回のブラジルでの研修の機会に身を投じることが出来てよかったと思えた、そんな夜だった。


追記:東山農場に行こうか行くまいか思案中。残り少ない時間がネック。最悪、会社を一日だけ休ませてもらうという選択肢も視野に入れる。

追記その2:「もらう」ばっかりであることは予め想定出来ていたので、我が研修先のパンフレットと研修をコーディネートしてくれた団体のアニュアルを差し上げた。効果は不明。

Panasonicの商品命名法につき。

ポルトガル語の動詞の活用と思われるのでメモ。

Diga: dizer

Viera: vir

2010年12月5日日曜日

Volta ao Japão

つい先日、帰国日が決まった。確か社長さんが日本に出張される日の前日の夜。

サンパウロを発つのが2月8日、成田に着くのは2月10日。

2月の上旬という以上は、特に根拠もなく決めた日程であるが、致し方ない。

帰国後の時間の使い方よりも前に帰国前の時間の使い方に頭を使いたいところだが、ひとまず日本の生活に順応するための時間である。

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ここ1・2週間、帰国しなければならないという事実が急激に身に迫って感じられるようになってきた。

期待半分、不安半分というような感覚。

仕事にしろ、生活にしろ、同僚にしろ、友人にしろ、「さよなら」を言わなければならない。

Liberdadeに行くこともあと何回あるのかと考えると、最初は単に友達と夕飯を食べるという約束だけだったとしてももっと他にやっておきたいことがあったのではないかと勘繰ってしまう。

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"Be Brasil. Be Green."とは、実は我が研修先の非公式?キャッチフレーズであるが、このブログではトップロゴの一部として勝手に拝借させていただいている。理由は黒地に黄緑色のフォントが映えて格好いいからというだけ。

今になって振り返ってハッキリ言えるのは、特に"Be Brasil."に表されるような「現地化」を意識して来たわけではないということである。

もちろんポルトガル語を勉強してきたのは現地の人とのコミュニケーション図りたいという気持ちがあったからであり、その意味で現地化を指向していると言えなくもない。

しかし、職場においても自分は日本人であったし、会社の外においてもポルトガル語しか話せない友達はいないと言っても過言ではない。

仲良くさせてもらっているのは、英語か日本語が話せる人達である。

日系ブラジル人たちと話すときもどこかブラジル人として見ているところがあるのだろう。

では、現地化ではなく何をしたのかという話になる。

しかしその問いに答えるには、もうしばらく時間がかかりそうだ。

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サンパウロは、日中30℃を超すかと思いきや、日暮れ時間近になると夕立が降るという季節になってきました。

2010年12月4日土曜日

My job

主に顧客情報管理に携わってきたわけだが、そろそろ引継ぎの時期に差し掛かっている。

そこで現状を整理してみようと思う。

1.顧客プロファイル・サービス満足度・製品満足度の各々の調査の月次報告書作成
→主たる仕事。最近は中国人研修生に実動を任せ、チェックに回っていた。彼女も自分も近々研修を終える予定なので今月を目途に周囲へ引き継ぐ。自力で一通り作ってもらい、わからない部分を随時聞いてもらうという形でやれば自分が抜けた後も円滑に回っていくはず。

2.上記顧客調査の回答率向上策
→詳細を見ればいろいろあるが、現在は回答インセンティブ設定という手段を実装する段階。真の意味で結果が表れてくるのには時間がかかるはずなので、しっかり引き継ぎたい。他に我が研修期間中に出来ることがあるとしたら、ディーラーによる顧客の基礎情報(連絡先等)の登録率の可視化くらいであろう。これはシステムプログラミングの外注先の仕事の速さ的に今月前半の間に可視化のためのツールのテンプレートを共有した方がいいだろう。

3.週次で作成していた販促キャンペーン申込者のプロファイル報告書
→12月3日付でキャンペーンへの申込が締め切られた。今週分を最後に、もう作成の必要はない。加えてCRMの上司にノウハウを引き継ぐかは彼女の時間的キャパシティという意味で微妙なところ。

4.在外拠点からの出張者の方々へのアテンド準備
→11月の末にもアテンドがあったが、1月頭にもアテンドの予定が入っている。しかも同時に2組。アテンドの対象が「調査」であるため、質問票の翻訳やサンプル招聘のための準備、「調査」の場のセッティングなどを上司の手足となって手伝える部分を手伝う。そういえば日本との交信係という「大役」も担っている。問題はその上司の方が今度の月曜から2週間ほど休暇を取るということであるが、本人は休暇の間もメールは見るとおっしゃっており、支障をきたすことはなさそうである。いやはや、お疲れ様です。

5.その他社長さんから直接頼まれている仕事
→季節指標を更新する・設定し直すということなのだが、指標作成のための市場データの取りまとめてもらうところから始めなければならない。市場実績データの取りまとめはもう一人の研修生が主たる仕事としているところなので、彼の仕事を待った後、取り掛かる。W杯やらカーニバルやら購買行動に影響を及ぼすと考えられるイベントが多いことが背景。

おおざっぱにいうとこんなところだろうか。1についてはエグゼクティブサマリーに匹敵する資料を作るという大仕事があるが、果たしてできるかどうか疑問符が付くところである。自分の中で未だ踏ん切り(≒「えいやっ」と仕事を済ませてしまう勢い)がついていないので、もう少し自分の中で発酵させてみたい。

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しかしこうして振り返ると自分がこの会社でやってきたことがどれだけ役に立つのか、どれだけ意味のあることだったのか胸を張って言いきることが出来ないのが怖い。

研修を始めてから度々社長さんから直接お話を伺ってきた。参考図書と称して本まで貸していただいた。

その社長さんの構想からすると自分がやってきたことは意味があることは確かなのだが、なんとちっぽけなことか。

11月末の日本からの出張者の方々へのアテンドの際だったか、社長さんが我がマーケティング部を評して「うちのマーケティング部は、まだ20点くらい」とおっしゃっていた。

そして自分の頭の中でも実感として「こんなに時間がかかるものなのか」という気がしている。

バトンはしっかり渡したい。

一方、本来の自分の仕事ではないところで評価されることがあるのだから世の中、不思議である。

具体的に言えば季節指標の作成についてである。

自分がやったことは、ググって季節指標設定のセオリーをフォローした、というだけなのだが、それでも「ズレが少ない」と言っていただいており非常に嬉しい。

どうやら例え四則演算だけを用いた演算でも、そのロジックをきちんと再現できるかどうかというのは重要なことらしい。

どんなに難しい問題を解くよりも、簡単な問題をどんどん解決していく方が偉いという意味で「会社は学校じゃない」とは社長さんのお言葉である。

逆にその「簡単な」問いを立てて解決方法を的確に当てはめる力というのが重要なのだろう。

ポルトガル語と日本語と私

週2でやっていたはずのポルトガル語教室も、突然旅行に出かけたり、ものすごい下痢に見舞われて体調を崩したりと、最近はなかなか捗っていない。

それぞれ別の先生に習っているわけだが、どうやらサンパウロ大学の文学部出身という点で共通しているらしい。

しかし一方はプロでポルトガル語と英語、もう一方はプロではないが日本語と英語とポルトガル語(僕との会話における使用頻度実績順)、といった点で大きな違いがある。

いずれにせよ、ブラジルで大卒なんて1割もおらず、その上サンパウロ大学といったらブラジル最初の大学であるからして名門の出である。

いや、ここで言いたいのはそういうことではなく、日本語を教えるのは難しいということであり、またポルトガル語も細かい文法のみならず、豊富な語彙等々、大きな壁として立ちはだかっているということである。

プロではない方の「先生」に対しては、ポルトガル語を教えてもらう代わりに日本語を教えるという、一種の共生関係にある。

ところが日本語について一緒に勉強しているときに「なぜ」と聞かれるとついつい詰まってしまうことが多い。

特に最近は敬語の説明に力を入れている。

敬語の原則を説明するのに、錆ついた古文解釈のための知識を動員するなど試みている。

常日頃自分が何げなく使っている言葉が「何故」そうなるのか説明するのは難しい。

それでもなんとか実例を駆使したり、彼女が持っている電子辞書に頼ったりしながらこなしているが、もう少しすんなり説明したいところである。

プロの方の先生にも日本語とポルトガル語の違いを説明するように求められたことがあり、正直説明に窮した。

向こうがポルトガル語の文を翻訳するとどうなるか、と問いを簡易化してくれたので何とか伝わったものと思われるが、動詞(verbo)と助動詞(auxiliar)と前置詞(preposição)の順番(ordem)が全然違う(muito diferente)とまとめるのが精いっぱいだった。

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しかし思い返してみるとこんなことをブラジルに来てやるとは思っていなかったし、でも、こうした水準の会話を楽しく交わすことできる相手に巡り合えたのは嬉しいことだなと考えざるを得ないのである。

Dezembro

もう12月、ここサンパウロの街中もクリスマス気分でいっぱいだ。

というか、こういう部分ではここまで頑張るのね、と正直、驚きを隠せない。

加えてこんな暑い中のクリスマスなんてどう過ごすのか見当もつかない。

クリスマスは海辺で過ごすのがブラジリアンスタイル、と友達が言っていたような気もするが、クリスマスイブとその1週間後は午後が休みなるくらいで普通に勤務する予定なのだから八方塞がり、といったところだろうか。

それにしても街中に時々いるサンタさんの人形たちは、見るだけでも暑苦しい格好をしている。

野ざらしになっているので、カビが生えちゃうんじゃないかなと心配です。

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それはさておき、我が研修ももうすぐ残り1ヶ月。

残りの時間を如何に使おうか焦っても仕方ないと自分に言い聞かせつつも、否が応でも時間が過ぎ去っていく。

幸い仕事の方は、年末年始関係なく、むしろ普段より一層山積している。

例えば年初に取り掛かればいいと言われていた仕事が何故か1ヶ月ほど前倒しにされるとか。

或いは1月上旬の日本からの出張者の方々のお手伝いの準備をしなければならないのに、その面での上司が来週の月曜から休暇に入るとか。

サンパウロにいる他の研修生たちもそろそろ帰国だそうで、来週のFarewell partyには顔を出そうかなと思う今日この頃。。。