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2011年1月10日月曜日

サンパウロの夏は夕立が降る。

昼間はからっと晴れていても油断してはならない。


今晩、宿の中が大騒ぎになった。


ブラジル鹿児島県人会館には、共用の台所兼食堂に隣接して駐車場兼集会所がある。

ちょうど写真の真ん中にあるドアの向こう側である。

雨の降るたびに雨漏りがあったのだが、今晩の雨は尋常じゃなかった。

駐車場が水浸し、ワイパーで掃いても掃いても水浸しになった。

水をかき出すこと20分、ようやく雨が落ち着いてきたので、その場は解散になった。

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ブラジルでの洪水被害のニュースが日本でも流れたらしいが、バカにしてました。ごめんなさい。

2010年12月31日金曜日

洗濯

インターン先の会社も流石に大晦日出勤という事態は回避し、昨日無事に仕事納めということに相成った。

クリスマス前と同様、終業時間の到来とともに「Feliz Ano Novo!」といって互いに抱き合い、挨拶を交わす。

その後のHappy Hourの人数はそんなに多くなかったけれど、楽しむことが出来た。

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さて、今朝は起床の後に洗濯をした。

洗濯機は共用なので、今日のように忘れっぱなしにすると次に使いたい人が困ってしまう。

しかし次の人にも何も手段が残されていないというわけではなく、洗濯機の中身を脇にのけるという強行手段がある。

そして今日、僕の洗濯ものはその対象となった。

そのこと自体は、むしろこちらの負い目なのだが、気になったのはその強制執行に打って出た側の言葉だった。



「男の子はなんでもかんでも一緒に洗っちゃうよね」



うーむ、確かによく下着もシャツも靴下もひっくるめて洗っていますが、それって効率を考えたら普通のことなのでは。。。

それに色モノや白いワイシャツ等は別にして洗っていますが、、、、



他の人がどのように洗濯しているのか、ふと気になった、そんな12月31日でした。


(大晦日だというのに日常ネタなのは、あまり非日常性を感じないので仕方がない。今日は15時くらいまでいい天気だった!)

2010年12月26日日曜日

Feliz Natal

英語だとMerry Chiristmas and a Happy New Yearなのだが、こちらではFeliz Natal e um Feliz Ano Novoである。

同じアルファベットの言葉とはいえ、ポルトガル語で表現するのはそれを母語としている人たちからしたら当然のことであるが、違和感は否めない。

どういうことかと考えてみれば、日本の宣伝広告に洗脳されている立場としては、やはり英語の、そしてアメリカの影響が強いのだと、こんなところで思わされる。

「We wish a Merry Christmas. We wish a Merry Christmas. We wish a Merry Christmas and a Happy New Year~♪」のフレーズが頭に焼き付いており、挨拶しようとするとこれらの英語が口から出そうになるのに気がつき、口をつぐむ自分がいる。

違和感つながりで言えば、亜熱帯における夏の時期にこの一大イベントを迎えていることも違和感を感じる一つの要因であることは間違いない。

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今週末は2泊3日でBauruという街の友人の家にお邪魔している。サンパウロから西北にバスで4時間ほどいったところである。

金曜日の朝9時のサンパウロBarra Fundaバスターミナル発のバスでバウルについたのが13時40分くらい。

バスを降りて券売り場の方に行くと、友人とその叔母さんが迎えに来てくれていた。帰りのバスの切符を買って、そのままおばあちゃまのお宅へ。でかい。

少し遅い昼食を友人の1親等以内の家族とともに外のレストランに食べに行った後、家で友人の書類作成(日本語)を手伝う。

そしてメインの一族全体の集いは夜の11時過ぎにやってきた。会場のおじさん宅に行ってみると総勢30人以上はいたものと思われる。大家族だ。

そもそも友人のお母さんが5人兄弟で、その子どもたちがそれぞれ2人~3人、さらにその子ども(孫)の世代も5人くらいきていた。パートナーたちも含めればそんな数字になるのである。

基本的にポルトガルの血の家なので日本人は珍しいらしく、いろいろ尋ねられた。

特に宗教に関する質問は考えさせられたが、その話はまた今度。

とにもかくにも、田舎に帰って一族団欒を楽しむ、そんな場を垣間見させてもらった。

家族同士でプレゼントを交換し、ご飯と酒を共に摂りながら語り明かす。それが僕の見たNatalであった。

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あと1時間半でサンパウロへ出発だ。

2010年12月23日木曜日

22/12

今日は久しぶりに仕事が捗った気がする。

それは他人と一緒にやらなければいけない仕事に目処がついたからかもしれない。

新しい仕事が降ってきたところで、今日の就業は時間切れ。

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今日の昼は例の中国人研修生のお別れ会と称して社長さん・副社長さん・中国人研修生・我等日本人研修生2名でBahia料理のお店で食事をした。

Bahiaというとブラジルの東北部に位置する、風光明媚な海岸リゾート地帯として有名な州である。

歴史的に黒人奴隷の導入によって栄えた地域なので、文化的にもアフリカ文化が根強いらしい。

やはり海岸地帯の料理ということでメインは、Moqueca(モケッカ)という名前の魚介類を煮込んだものだった。

基本的には皿の上にシチューと米をよそって食べる。

しかし、さらにFarofa(ファローファ)と呼ばれるトウモロコシ粉やら小麦粉を混ぜたものや、魚を煮込んだスープ、タバスコなどを混ぜ合わせると絶妙な味わいを醸し出し、非常においしかった。

普段こちらで口にするものはほとんど単純な味なので、こうした深みのある味というのは希有であり、重宝する。

日本だとスープのだしをとったり、一品つくるための段取りがいくつもあるが、こちらではそういう発想はないのだと思われる。

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そして仕事を終えたのちは今までお世話になったAIESEC USPの現財務責任者のお別れパーティに参加するためバスに乗って一路西へ。

この12月で任期を終えたのちは、アルゼンチンで2ヶ月間NGOインターンシップに臨むとのこと。

ひょっとしたら旅行中に会えるかもしれないねと言って、お別れをした。

Boa viagem!

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バスに乗って家へ帰ろうとしたところ、気が付いたら停留所を一つ通り過ぎていた。

しかたないのでそこから歩いて帰ったのだが、脇のランショネチ(ブラジル版定食屋)に同じ宿の人たちが飲んでいるところに遭遇し、合流した。

この日の夜、宿の施設を使ってドキュメンタリー映像の上映会をしていたらしいのだが、その後の打ち上げということだったようである。

そのドキュメンタリーをつくった方も一緒にいらした。

実は現在、同じ宿に住んでいる人(日本人の幼稚園の先生)の友人(ブラジル人)のおじいさんについて、宿の一部の人で盛り上がっている。

そのおじいさんが、ブラジル陸軍の元軍人で1930年代に2年にわたって日本で生活をしたことのある方(当時の)で、その当時の資料がリオ・デジャネイロの家に残っているらしいのだ。

その話をドキュメンタリー作家の方にしたところ、ここでも少し盛り上がった。

彼曰く、まずその元軍人さんの写真の中に板垣征四郎などと一緒に写っているものがあり、日中戦争に観戦武官として派遣されていたのではないかということ。

加えて、史料としての価値も日伯関係史の文脈で大きいのではないかとのこと。

個人的には、その元軍人さんが日本について書いたという3冊の本のコピーをほしいと主張している。

歴史的な資料は相応の機関に預けるのが、史料・その所有者・世の中のためになると思う。

2010年12月19日日曜日

恐怖

ゴキブリが、である。

我が住居である鹿児島県人会館は緑の地下鉄のクリニカス駅から市営墓地沿いに10分弱あるいて行ったところにある。

そこの墓地沿いの道端に出る。

しかもただのチャバネゴキブリよりかは一回りくらい大きめで、前足で少し立体的に構えているようなやつである。

姿勢がいいので余計威勢があるように見えるのかもしれない。

夜に通ると1回で10匹くらい見ることなどざらであり、否が応でも目に入ってくる位置にそれだけいるのだから、もう少し注意して見ればもっといるのだと思う。

もちろんいつもそんなに遭遇するというわけではないので、活発化するためには、何らかの条件があるのだと思われるが、これだけ天候が変わりやすいサンパウロなので、いまいち把握しかねている。

いずれにせよ、これから夏を迎えるので何かしら頭数は増えるものと思われるが、僕が通る際は、何とぞよしなにやり過ごしてやってほしいものである。

2010年11月21日日曜日

Turistas no Kagoshima do Brasil

ブラジル鹿児島県人会館に引っ越してからはや1ヶ月。

バックパッカー用の4人部屋に住んでいるので、旅人との接触機会がある。

4つの枠のうち、自分を含め2人は中長期滞在のため、残りの2枠にバックパッカーが転がり込んでくる。

感覚的には週に1回は新しい人たちが入るといった感じである。

旅人達とは、その「旅先」でしかお目にかかれないものである。

そしてここサンパウロは、その旅先の一つであるらしい。

何故旅に出たのか、出る前は何をしていたのか等々、話を聞かせてもらえるのが面白い。


下記ブログはそんな一人が書いているもの。

http://ameblo.jp/yukotrip


ひとまず、明日は彼・彼女らと日帰りでSantosに行ってきます!

2010年11月14日日曜日

14 de Novembro, 2010

もう11月も半ばである。

研修終了予定の1月中旬まで残り2ヶ月。

その後はアルゼンチンやらチリにでも2~3週間くらいの行程で足を伸ばしてみようと思っている。


▼仕事

仕事の方はと言えば、マーケティング部が企画主体となって実施している販促活動関連での仕事が多い。

一方、もともとの仕事である顧客アンケートの改善についても、プログラム実装の外注先がようやく成果物を提出してくれた。

社長さんに「こうしてほしい」と言われたのはかなり前の話なのだが、それが形になるためには、研修生という立場からすると、非常に時間がかかる。

とはいえ、自分のやってきたことが形になっているのは嬉しさこそあれ、嫌な気持ちはしないものである。

最後の2ヶ月は顧客アンケートそのものに関する、社長からのアサインメントの最後の一つを形にするとともに、幾つか社外とのプロジェクトがあるのでそちらの業務遂行を円滑にこなす。


▼ポルトガル語

せっかく非英語圏に身を置いているのでポルトガル語学習に手を出している。

しかし受験英語の方法論を適用しているので、喋りの方はなかなかうまくならない。

この課題は、帰国後に如何にブラジル人と話す機会をもつか、という点にかかってくるだろう。

ブラジル人を日本に呼ぶ、或いは日本にいるブラジル人に会う、これらは帰国後にやってみたいことだ。


▼旅

今までを振り返ると、マーケティング部の仕事に同行という形で連れて行ってもらったマナウス以外は、サンパウロ、しかも大サンパウロ都市圏のほんの一部、しか知らない。

冒頭に触れたブラジル近隣諸国への旅とは別で、最後の最後でどこかに行っておこうと画策中。。。

サンパウロ州のどこかか、或いは近隣州の主要都市になる見込み。


そういえば同じ「旅」という意味では、帰国の日取りを実はまだ決めていない。

いや、実際には12月末の帰国便の航空券はあるものの、周囲には帰国予定日を遅らせると言っているのに、航空券自体を変更していない。

今週中にやります。


▼ブラジル人との交流

以前、ここで書いた通り、「知日派」非日系ブラジル人が何故日本に興味を持つようになったのか、気になっている。

自分の中にある、この興味を形にしてみようかなと考えている。

ヒントになるのは「移民」の存在のはずだと仮説を立てているが、その奥に何があるのかは聞いてみないとわからない。

ひとまず、自分も日系ブラジル移民についてより深く知る必要がある。



2010年11月10日水曜日

O pessoal verde - Palmeiras

今日は水曜日である。

夕食を外で済ませて地下鉄に乗り、帰路につく。

前に立ってるお姉さん背が高いなぁとか思いながら、Clínicasの駅で下車をすると何だか様子が変だった。

気がつけば、緑のユニフォームレプリカをまとった集団が一度にドバッと降りたのである。

そしてエスカレーターで改札階へ上がり、さらに改札を出たのちに地上階へ上がる。

地上に出てしまえば、徒歩5分ほどかかるとはいえ角を一回左に入るだけなのだが。。。

終始、何やら騒がしい”緑の人たち”と一緒であった。

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しかしWeekdaysのど真ん中だというのに、大層な盛り上がりようである。

これがサッカー大国たる所以かと納得すると同時に、彼らの明日の生活を想うと首をかしげざるを得ない。

前回この”緑の人たち”と遭遇したのは、ある日曜夕方にチームが宿敵Corinthiansに負けて地下鉄駅に戻る途中だったため至極静かだった。

しかし今日は違う。

角の脇のLanchonete(街中の安めの食堂)は試合前のテンションが高い連中であふれかえっていた。

また今日は天気が不安定なため、雨合羽を売る人々も結構いた。

うーん、今日は勝てるといいね。

2010年11月7日日曜日

Tá frio... - サンパウロの天気

ここサンパウロでは、寒さが戻りつつある。というか、来るはずの「夏」が未だ来ない。

こちらの人の服装を見ていると20℃を下回れば「寒い」の区分に入るようである。分厚めの長袖の人が増える。

日本の1月や2月の寒さに比べれば何ともないが、確かに日中20℃を平気で上回ることを考えれば肌寒く、1枚くらいは羽織った方がいい。

Googleさんの表示では、現在(24pm 06/11/2010)の天気と短期予報は以下の通り。


サンパウロ - サン・パウロ, ブラジル の天気情報


17°C
現在: 晴れ
風: 東 3 km/h

激しい風雨の可能性
26°C | 13°C

晴れ
27°C | 15°C

雨の可能性
30°C | 17°C

激しい風雨の可能性
32°C | 16°C













昨日(金曜日)の昼間は30℃まで到達していたし、南半球にある以上はこれから「夏」が来るはずなのだが、昨日の晩から今日にかけて雨が降ったこともあり15℃以下まで冷え込んでいる。

一方でこちらの「冬」、すなわち7月から8月にかけてはどうだったかというと、最低気温が10℃を下回ったの期間は5日もなかった。

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サンパウロは標高約800メートルに位置しており、日本でよくあるブラジル的イメージの熱帯気候がサンパウロにもあるなどとは到底考えてはいけない。

熱帯雨林気候はもっと北の地域での話のはずである。

確かに3日間だけ工場訪問で滞在したアマゾンのマナウスは、蒸し暑く、東京の8月の終わりと似たような天候が年中続いているようだった。

しかしサンパウロは違う。

今日のように寒暖の差が激しいことについて、新聞曰く「uma verdadeira montanha russa climática(真の気候的ジェットコースター)」とのこと。

そして恐らく日本の23倍の国土面積を誇るこの国には、行ってみないと想像すらできないような多様性が湛えられているのだろう。


・・・つべこべ言わずに、はやく夏になってほしいです。

2010年11月5日金曜日

地下鉄 - Metrô na Cidade São Paulo


通勤には地下鉄を使っている。


1980年前後に始まったらしいサンパウロの地下鉄は、他の公共交通手段に比べるとだいぶしっかりしている。

まず、当たり前だが行き先が明確にわかる。

バスだったらそうはいかない。日本人だからというわけではなくて、皆運転手にそのバスが自分の行きたいところで停まるか質問している。

それに比べると、電車は路線図以外の所にはいかないからわかりやすい、というわけ。

(ちなみにその時止まった駅がどこなのかは構内表示という意味でわかりにくい。)

次に、運転間隔が比較的短い。

路線によるのだろうが、経験上、バスに乗るために非常に長い間待たなければならない。

その点、3分から5分前後で次の列車が来る地下鉄は気が楽である。

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通勤で使っているのは、パウリスタ通りの下を走る緑色の地下鉄。

サンパウロ大学の医学部病院を始め病院がいくつかがあるClínicas駅からパウリスタ通り中ほどにあるBrigadeiro駅までの3駅、10分弱。

この距離を徒歩で行くことも可能なのだが、時間的にも体力的にも地下鉄を使った方がだいぶ楽である。

この緑の地下鉄は、3本に2本くらいの割合で比較的新しい列車が走っている。

一番嬉しいのは、次の停車駅を告げる車内アナウンスが録音であること。

個人差が大きい運転手さんたちの声に比べて、ハッキリとしたアクセントと発音で聞こえやすい。

「Próxima estação, Paraiso. Acesso à Linha um azul....」というアナウンスが一番のお気に入りです。

Os brasileiros que conhecem o Japão

最近つるんでいるのは、知日派ブラジル人たち。

日系の人たちはただでさえ接触機会が多いので、むしろ非日系ブラジル人との交流を意識している。

家庭文化的には日本のことなんか触れることがないはずの彼らが、何故日本に興味を持つようになったのか、そこが知りたい。

夕食を一緒に食べたり、ポルトガル語を教えてもらったりしている。

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マネックスの松本さんが言うとおり、日本にいる状態でも「俯瞰する鳥の眼」まで昇華させるためにこうした「外の眼」を取り込む機会を持ちたい。

2010年11月3日水曜日

Pacaembu

Já ouvi sons do estádio Pacaembu.

Agora são às vinte minutos a meia-noite....


もうこんな夜中だってのに歓声が聞こえてきます。。。
ひとまず、リハビリってことで。

2010年10月16日土曜日

O aniversário de aluguém

我が社では、勤務日でかつ、従業員の誕生日の日には、ケーキと飲み物とともに事務所全体でお祝いをすることが慣例になっている。

昨日はなんと社長さんの誕生日。

普段よりケーキが豪華な気がした(フルーツの量!)が、それは今月誕生日を迎える人が一人しかいないからだということにしておこう。

いつものように人がぞろぞろ会議室に押し寄せ、またケーキがセッティングされる。その後、誕生日の人の登場とともにハッピーバースデイの歌のポルトガル語バージョンを皆で歌う。

そこからはただただケーキを食べながらひと時の談話の時間となる。。。


ここまでは、我が研修先でのほほえましい情景に過ぎないのだが、困ってしまうのはここからである。


ケーキが余っていると有言無言の「若い人たちはしっかり食べようね」という圧力が日本人駐在員の方々から強く感じられるようになる。いわゆる残飯処理を拝命することになる。

しかし、ただでさえ甘い(が故に”重い”)ケーキをカットされているからといって何皿も食べられるわけではない。

そこを無理して摂取したものだから、昨日は一瞬めまいがしたほどだった。

昨日は金曜日だったのでHappy Hourと称する仕事の後の飲み会にも参加したが、一通り飲んで時間が経ってもなお、腹部にその存在を感じさせる糖分の塊には苦笑せざるを得ず。

ブラジル人の味覚を基に作られたものと日本人の食べ物を大切にする精神とが相俟っての悲哀。


普段の食後は果物を食べるだけで十分です。


2010年10月10日日曜日

Mudança / 引っ越し

もうすぐ引っ越します、というお話。

引っ越し先は会社から地下鉄で3駅いったところから程近い、某県人会館。

日本語で生活できてしまうというのはリスクであるけれど、何分料金が現在の住居の半額近くになるので俄然好物件でした。

料金が低い分だけ、旅行者用の4人用相部屋となるが致し方ない。

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9月の上旬に電話で予約の後、さる金曜日に直接赴いて管理人さんと顔合わせ&鍵の受けとりをした。

いわく旅行者用の相部屋とはいえ、既に長期滞在の人たちで埋まっているとのこと。

なかなかおもしろそうである。

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ひとまず、これからの季節(夏!)はなるべく地下鉄を使わずに徒歩で通勤したいところ。

今度の土曜日に引っ越します。

2010年9月13日月曜日

Como fazer os pratos italianos

[Espaguete bolonhesa]

1. Heat the minced meat with oil.

2. Put in some canned tomato, laurel and minced garlic - these two additives are essential.

3. Boil the pasta.

4. Put them together on a dish.


[Salada verde italiano]

1. Cut some vegetables (Ex. Cabbage, italian tomatoes, etc).

2. Put them on a dish.

3. Put on some parmesan cheese (queijo parmesção).

4. Add vinegar of Barsamico.



It was not my original way to cook. I have to thank to my mother :P

Then, I am sure that with these recipes, restaurants in São Paulo will be much better than now!

2010年8月27日金曜日

Soulful Japan

In this weekend, some Japanese AIESEC members are going to an event for new comers to AIESEC.

Some are going to that of AIESEC PUC and the others including me are going to that of AIESEC USP.

We are expected to present our home culture.

Then, one of my friends going to PUC asked me to download a movie on Japan and I found some.

Below is one of them:


What I have to say is that I need fresh Sashimi of the quality in Japan!!!!

刺身が食べたい!

(BGMは久石譲の作曲のようですが、定かではありません。)

2010年8月25日水曜日

シュハスカリアにて

今日は久しぶりに仕事が捗った。



そして全く脈略はないが、夜は社長さんと副社長さんが、サンパウロに来ているAIESEC関連の日本人学生を相手に一緒に食事をしてくださった。

なかなか盛り上がる。

仕事から生活、権力闘争のことなどなど、フィールドは多岐にわたる。

社長さんと副社長さんと学生だけの環境は初めてだったので、個人的にもいろんな話が聞けて面白かった。

非常に積極的に話をしてくださってありがたい限り。

ごちそうさまでした!!


追記:やはり、Caipirinhaはcom limãoがmaracujáよりおいしい気がする。副社長さんの言うとおり、Caipirinhaのカクテルセットは買って日本に持ち帰りたいと思う。

2010年8月21日土曜日

Livros em japonês

日本からAIESECのミッションがやってきた。


目的は日本人インターン生を受け入れてくれる企業を探し出すこと。

すなわち、営業活動である。

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潜在顧客に対して何を売るのか、どこで、何時、どのようにメリットを見せて行くか。

単位顧客当たりの獲得コスト(※)算出は四則演算の組み合わせ、そして顧客に対する見せ方は心理学の積み重ねらしい、というのが最近学んでいることである。

(※1人の人間に自社商品を購買させしめるのにかかるコスト。)

特に四則演算なんてのはそれ自体は小学校で習うものだが、それを実用的に体得するのが難しい。いつ、どのように適用するか。

最近、そうした訓練の機会を与えられている。どうも自分では問題設定が出来ないので、ありがたい限り。社長さんから貸していただいた本も読まなければ。

しっかりやり抜きたい。


写真は、日本からのミッションに持ってくるのを頼んだ本×3。重いのに届けてくれてありがとう。大事にします(=ちゃんと読みます)。


2010年8月15日日曜日

Bienal do Livro

昨日はなんだか無駄に深刻な雰囲気を醸し出してしまったが、祖父は今もこの胸の内にいるということが言いたかっただけなので、ご心配おかけしたようなら申し訳ありません。

さて、気を取り直して今日は普通に日記。

タイトルにあるようにBienal do Livroという、年に一回サンパウロで開かれるブックフェアにAIESEC関係の人たちとともに行ってきた。

AnhembiというMarginal Tiêteの脇の大きなパビリオンに何百もの出版社や書店が軒を連ね、人でにぎわっていた。

ブックフェアといっても基本的にはポルトガル語の本しか置いていないわけで、基本的には同行者の後をついて回っていたが、その中で思ったことをいくつかあげる。

1.ラテン語族言語同士の乗り換えのしやすさ

英訳するとFrench Libraryという名前の書店のブースに行った時のこと、仕方ないので星の王子様を手に取ってみたところ、ポルトガル語と似た単語の何と多いことか。そのブースで本を買った知人のブラジル人も「もしフランス語でもゆっくり話してもらえれば、だいたい理解はできる」とのこと。羨ましい。

2.ブラジル人ってやっぱり柔軟

一般化するのはどうかという話ではあるが、柔軟。入場券を買う時に一緒に連れて行ってくれた知人の交渉のおかげもあったけれど、日本の学生証で学生の代金で購入させてくれた。日本じゃ有り得ないと思うのは僕だけだろうか。

3.日本のものももう少し頑張れるはず

日本からやってきた本という意味で、語学や漫画の類はところどころ散発的にではあるが見かけた。しかし、それ以外のものは全く目に入らず。村上春樹が立派な書店にポルトガル語訳が置いてあったくらいか。それに加えて、Fundação Japãoのブースが何とも言えない寂しい雰囲気だったのが悲しい限りだった。物を売るつもりもないし、かといって人を呼び込む目玉のようなものもなく、はっきりいって何がやりたくてブースを出しているのかわからなかった。


知人たちと話したこと等、書きたいことは他にもあるが、今日はこの辺で。

2010年8月14日土曜日

CPF!

たまには今後ブラジルで長期間にわたって生活するであろう人への情報をば。

今日、ふと郵便ポストを見たら、CPFが来ていた。

「Cadastro de Pessoas Físicas」であり、英訳すると「Natural Persons Register」すなわち、自然人登録ということになる。

(こんな封筒に入って届けられます。サイズは、クレジットカード大。)

Each individual has a number (which is the actual CPF), formerly printed on a paper document but now on a blue plastic card (credit-card-sized). Since the 70s the use of this number has been extended to a series of other purposes, making it one of the four most important documents for anyone living in Brazil (the others are the Identity Card, the Voting Registration and, for men, the Military Service Certificate). Without a CPF it is almost impossible to lead a normal life in Brazil. http://en.wikipedia.org/wiki/Cadastro_de_Pessoas_Físicasより

上記引用の特に後半を見てもらえば分かる通り、ブラジルで生きて行くには欠かせないものである。日本における自動車免許のような、IDカードとして汎用性と利便性を兼ね備えた書類と言えば分ってもらえるだろうか。

RNEという外国人登録の申請をし、それを受けてCPFの申請に会社近くの郵便局に行ったのが7月頭、その申請のConfirmationをしにPoupatempoに行ったのが7月25日くらいだったはずなので、 CPFにかけた時間だけを見ても1ヶ月以上はかかったことになる。

長かった。

しかし忘れたころにやってくるのは、ブラジル行政の巧妙な罠だろうか。

それでもReceita Federalが管轄するCPFは、Policía Federalが管轄するRNEより俄然早いのだが。


地味に嬉しかったので記す。