2010年9月10日金曜日

A book on modern history of Brazil

去る土曜日に本を一冊読了。

ブラジル現代史の概説書。70年代に山川から出された本であるが、日系人の学者が書いていることもあり、図書館と労働時間の都合で毎週土曜の午前中にしか読めなかったけれど、なかなか楽しく読んだ。以下、メモを記す。





・「ラテン=アメリカ」は正統統治者を自称するイベリア勢やイギリスに対抗すべくフランスが初めに使った言葉。

・ブラジルが他のラテンアメリカ諸国と違ってその大きな版図を抱いたまま独立し、それを今日も維持しているのは独立がポルトガル皇子によって平和裡に成し遂げられたことが大きい。

・ブラジルは唯一欧州戦線へ派兵(他はメキシコは太平洋戦線へ派兵)したが、基本的に戦時中のラテンアメリカは食料と戦略物資の供給庫としての役割を担っていた。

・日本の敗戦は日系移民に帰国を断念させ、政府機関もしばらく存在しなかったため彼らの現地化を促した。

・「戦後の米州体制のものとで日本は、もはや敵視されることはなくなり、かつての軍事国家像は後退し、一九五〇年代後半になると日本はラテン=アメリカのどの国からも、その主権を侵すことのない好ましい国として見られるようになった。」

・「第一、皮膚の色で人種別資料を作ってもそれに何の意味があるのか、という疑問が提出され、結局一九六〇年の調査から人種別の項目が除外されてしまった。」

・「ブラジルの場合、植民地→独立・帝政→共和政樹立の過程では、スペイン系諸国と違って、断絶や不連続がないということである。政治体制は変化しても、それがそのまま社会体制の変化として投影していない。」

・当初の植民地制度としてのカピタニアは、サンヴィセンチとペルナンブコとでサトウキビ産業で成功しただけ。

・ブラジルの人種構成がアメリカ合衆国と異なるのは、植民地の安定化のための家族拡大という意図で混血が促進されたからだと言える。

・ナポレオンから逃れたポルトガル王室を後押ししたのはイギリス政府。

・王子ドン=ジョアンが近代化の萌芽をもたらした。USP法学部の前身の設立もこのころ。

・日本の明治維新の裏で行われていた三国同盟戦争はラプラタの民との接触を通じてブラジルに共和意識の萌芽をもたらした。

・コロネリズモ(地方における寡頭政)に基づき、19世紀からのコーヒー産業の盛況を享受していたミナスとサンパウロの二州が交互に大統領を輩出していた。

・その裏にあった暗黙の了解をCafe com Leite(おそらく「甘い」コーヒー牛乳の意)という。

・「その典型的な例がサンパウロであった、ここでは世界の各国からやってきた移民グループがそれぞれのお国柄によって、多様多彩な色づけをした、いわば文化のモザイク模様がある。」

・「一口にいえば、工業化や近代化は、基層文化の伝統を温存した地域ではおこらないで、コーヒー産業の新興地帯で芽生えたのであった。」

・コーヒー貴族の結束の終焉から1930年のバルガス革命へ。

・都市の中流市民やテネンティズモを巻き込んで成功した無血革命。その後、サンパウロ州のようにバルガスに反旗を翻す例もあった。

・独裁の15年:『ブラジルには大きな州も小さな州もない。あるのはブラジルという大国のみ。』

・クビチェック時代:『五十年を五年で』のスローガンで主幹道路整備やブラジリア遷都を達成。

・「もしナショナリズムという意識の形態が国家的なアイデンティティーを求めての闘争の手段であるとすれば、テネンティズモの流れこそそれに該当するものであろう。」

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