2010年9月30日木曜日

4 people from the mother company

No momento, ontem e hoje, teve quatro pessoas da empresa no Japão.

É muito interessante porque tenho conversando sobre muintas coisas com eles.

・・・今日のポルトガル語はこの辺で。

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ここ二日の間、研修先企業が空前の盛況を呈していた。日本からのビジターが多いという意味で。

同時に4人というのは、この会社が出来てから初めてのことらしい。

例えば顧客サービスやシステム開発といった感じでそれぞれの方の専門が異なり、また年齢も役職も様々であるため、お話をさせていただくだけでも楽しい日々が続いている。

昨日は社長さんのおごりによる昼食に同行させていただいたし(無断でついていったので社長さんにどつかれた 笑)、今日も仕事の関連で同じ部門の別の販売会社(略して”ハンシャ”というらしい)での事例についてヒアリングさせていただき、機会に恵まれていたと思う。

事業領域の性質上、確かにグループ企業体の中でも特に海外支店が多い部門の会社であるのだが、ここにきてそうした特質、つまり日本の外にどんどん人を派遣するということを身をもって体験するとは思っていなかった。

ただ、業種など個別具体的な要素は無視して、いま自分がやっている仕事とそれに付随する成長のサイクルの延長線上に彼らの姿があるとしたら、本当にそれは自分がやりたいことなのか、情熱をかけてやりたいことなのか、ということは考えなければならないと思う。

面白そうなのは間違いないが、以上、流されがちな自分への戒めとして。

2010年9月26日日曜日

Election in AIESEC USP

昨日は、AIESEC USPの次年度の委員長を決める選挙プログラムに参加。

残念ながら全てポルトガル語で執り行われた上に、英語に通訳してくれる人などはいなかったので、議論の内容や選出プロセスの詳細については把握できず。

委員会で活動しているわけではないので当然選挙権は有していないが、上記2点についてはヒアリングしてみたい。その上で「選出プロセス」については改めて記す予定。

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もうひとつ、昨日面白かったのはAIESECを通じて日本で研修したやつとの会話。

選挙プログラムの後のBBQから夕飯まで終始話していた。(BBQに彼を誘ったのは僕。)

「日本語話すのは久しぶり」と言いつつ、「あぁ、なるほどね!」という相槌が打てる彼は、そんじょそこらの日系人よりはだいぶ日本語がうまかった。とはいえ、全ての会話のうち英語も30%くらいは話していた。

話のネタは、食生活(みそ汁が好物!)、女性観から研修中の出来事(例えば上司との関係)、そして両国の歴史など多岐にわたった。

また、会社の中で携帯電話がかかってきたら、少しの間、デスクを離れて邪魔にならないように話すべき、と主張していた彼はJapanizeされているといっても過言ではなかろう。

2010年の最初の6か月を日本は仙台で過ごした「知日派」とのやりとりは、我が故郷に思いを馳せるには十分すぎる程、刺激的だった。

2010年9月19日日曜日

4 months passed

It's been 4 months since I came to São Paulo, Brazil.

I have done some things but for now I cannot figure out completely.

On the other hand, I think I am not going a wrong way.

I need to keep thinking on what I can do for the people around me...

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昨日はAIESEC USPの人材戦略部(TM)と研修生受け入れ事業部(ICX)の共催によるAIESEC Dayなる企画に参加して来た。

企画趣旨は、AIESECのことをあまり知らない研修生にAIESECのことを知ってもらい、AIESECにもっと巻き込む(あわよくばメンバーと同等の活動をしてもらう、そうじゃなくてもアイディアを出してもらう:頭脳を使わせてもらう)きっかけにしようというもの。僕は研修生の中の唯一のAIESEC活動経験者ということで自分の体験を具体例として共有してほしいと頼まれていた。

パウリスタ通り近くのメンバーのシェアハウス(アパートの一室)で行われた。

参加者はUSPのメンバー数名に加えて、カナダ人の女の子研修生2人、ポルトガル人研修生が男女1人ずつ、エジプト人の男子研修生が1人、日本人の僕が1人、といった顔ぶれ。

・軽く自己紹介:出身国・研修先・ブラジルで感じたこと
・自分たち研修生が何で研修に参加したのかを共有
・AIESECの歴史・Vision・Mission・アプローチの確認:それぞれ何故そうなっているか見方を共有
・AIESEC USPの現状(他の研修生、内部組織、研修生受入事業部)について共有
・AIESECの研修を通じて何を達成したいか、ワークシートを埋めるというまとめ

コンテンツは上記のような感じで、朝から晩までやっていた。以下、印象に残っていることをいくつか。


・動画をちょいちょい使っていた

だいたい他委員会など外部作成のものであったが、クォリティの高い動画を要所要所で使っていた。特に抽象的なメッセージを伝えたい場合にどこかのセミナーの様子を映した動画を使っていて、より説得的かつUnderstandableだった。また、たとえ言葉がわからなくても、眼を通じての知覚はメッセージ性が強いので有効。上手いと思った。


・セッションの進め方:非日本語(≒英語)での議論

特にAIESECの団体理念に関するセッションの進め方には目を見張るものがあった。まずファシリテーターの人材戦略部長(と書くと堅苦しいけど、明るい感じの女の子)が、スライドを一通り説明した後、例えばなぜその理念が必要であるかという質問を投げかける。それに研修生たちが思い思いの言葉を返し、まとめる(まとめない場合もある)。個人的には6つある価値観(Value)のうちの最後の一つである「Acting Sustainably」を何故掲げるのかというところでイニシアティブを発揮できた。複数人いる中で英語で議論する訓練になりました。


・AIESECの研修生の脳を使う

仕事をするという意味での「研修」だけがAIESECのInternational Internshipではないと思う。その意味で研修生を現地AIESECの活動に巻き込もうとする、今回の取り組みは非常に面白いものだった。AIESECの組織運営そのものに動員するためにはAIESEC特有の知識や愛着みたいなものを刷りこむ必要があるのでより高い障壁があるけれど、研修生の持っている知識をLCメンバーに共有してもらうということだけでもお互いにとって有益な機会になるのではなかろうか。とはいえ、それをするためにはお互いの人となり、そしてニーズを深い次元で知ることが求められる。現地AIESECの活躍に期待するだけでなく、自分でも頭をひねってみたいところ。

2010年9月18日土曜日

A series of meeting people

1. Segunda feira - Monday

I had a dinner with a person working for a Japanese "trading" company here in Brazil. He has a unique background because he had lived in São Paulo when he was a junior high school student. The stories based on his experience were really funny and interesting. Some of his stories let me think about education, Japan, and what I have to do in general: enjoy the life.

2. Terça feira - Tuesday

I went to USP to get my salary for August. And then, I talked with some students there. Now AIESEC USP is under the season of election. One girl was wondering if she was going to apply. The conversation with her reminded me of the experience I had, making me reflect on what I did.

3. Quarta feira - Wednesday

Another Japanese trainee arranged with an ex-colleague to go playing succor in São Caetano do Sul, one of the most comfortable cities in Brazil to live. The ex-colleague is a really nice guy and we enjoyed most. Thank you, Cristiano! 

For me, the station Sacomã for Linha 2 Verde (the green line) was amazing. It is really new and the platform is like that of Namboku line, a GREEN subway line in Tokyo.

4. Quinta feira - Thursday

The president and vice-president of the company took us to a really good Japanese bar, BUENO in Liberdade for a farewell of a Japanese trainee for another Japanese company. There was a lot of new information given by them. So I think the trainee was really lucky because there is hardly such an opportunity.

5. Sexta feira - Friday

Today I had two schedules: one was to meet with a person whom one of my neighbors introduced to me to teach Portuguese. The other was to take part in the farewell party of a Japanese trainee by AIESEC PUC. A lady who will be a kind of my Portuguese teacher was really nice because she likes Japan and knows more than the usual Japanese people. The classes will be exciting. For the latter one, that was my first time to see AIESEC PUC's people. 

A gente, estou com muito sono!!

2010年9月13日月曜日

Como fazer os pratos italianos

[Espaguete bolonhesa]

1. Heat the minced meat with oil.

2. Put in some canned tomato, laurel and minced garlic - these two additives are essential.

3. Boil the pasta.

4. Put them together on a dish.


[Salada verde italiano]

1. Cut some vegetables (Ex. Cabbage, italian tomatoes, etc).

2. Put them on a dish.

3. Put on some parmesan cheese (queijo parmesção).

4. Add vinegar of Barsamico.



It was not my original way to cook. I have to thank to my mother :P

Then, I am sure that with these recipes, restaurants in São Paulo will be much better than now!

2010年9月10日金曜日

A book on modern history of Brazil

去る土曜日に本を一冊読了。

ブラジル現代史の概説書。70年代に山川から出された本であるが、日系人の学者が書いていることもあり、図書館と労働時間の都合で毎週土曜の午前中にしか読めなかったけれど、なかなか楽しく読んだ。以下、メモを記す。





・「ラテン=アメリカ」は正統統治者を自称するイベリア勢やイギリスに対抗すべくフランスが初めに使った言葉。

・ブラジルが他のラテンアメリカ諸国と違ってその大きな版図を抱いたまま独立し、それを今日も維持しているのは独立がポルトガル皇子によって平和裡に成し遂げられたことが大きい。

・ブラジルは唯一欧州戦線へ派兵(他はメキシコは太平洋戦線へ派兵)したが、基本的に戦時中のラテンアメリカは食料と戦略物資の供給庫としての役割を担っていた。

・日本の敗戦は日系移民に帰国を断念させ、政府機関もしばらく存在しなかったため彼らの現地化を促した。

・「戦後の米州体制のものとで日本は、もはや敵視されることはなくなり、かつての軍事国家像は後退し、一九五〇年代後半になると日本はラテン=アメリカのどの国からも、その主権を侵すことのない好ましい国として見られるようになった。」

・「第一、皮膚の色で人種別資料を作ってもそれに何の意味があるのか、という疑問が提出され、結局一九六〇年の調査から人種別の項目が除外されてしまった。」

・「ブラジルの場合、植民地→独立・帝政→共和政樹立の過程では、スペイン系諸国と違って、断絶や不連続がないということである。政治体制は変化しても、それがそのまま社会体制の変化として投影していない。」

・当初の植民地制度としてのカピタニアは、サンヴィセンチとペルナンブコとでサトウキビ産業で成功しただけ。

・ブラジルの人種構成がアメリカ合衆国と異なるのは、植民地の安定化のための家族拡大という意図で混血が促進されたからだと言える。

・ナポレオンから逃れたポルトガル王室を後押ししたのはイギリス政府。

・王子ドン=ジョアンが近代化の萌芽をもたらした。USP法学部の前身の設立もこのころ。

・日本の明治維新の裏で行われていた三国同盟戦争はラプラタの民との接触を通じてブラジルに共和意識の萌芽をもたらした。

・コロネリズモ(地方における寡頭政)に基づき、19世紀からのコーヒー産業の盛況を享受していたミナスとサンパウロの二州が交互に大統領を輩出していた。

・その裏にあった暗黙の了解をCafe com Leite(おそらく「甘い」コーヒー牛乳の意)という。

・「その典型的な例がサンパウロであった、ここでは世界の各国からやってきた移民グループがそれぞれのお国柄によって、多様多彩な色づけをした、いわば文化のモザイク模様がある。」

・「一口にいえば、工業化や近代化は、基層文化の伝統を温存した地域ではおこらないで、コーヒー産業の新興地帯で芽生えたのであった。」

・コーヒー貴族の結束の終焉から1930年のバルガス革命へ。

・都市の中流市民やテネンティズモを巻き込んで成功した無血革命。その後、サンパウロ州のようにバルガスに反旗を翻す例もあった。

・独裁の15年:『ブラジルには大きな州も小さな州もない。あるのはブラジルという大国のみ。』

・クビチェック時代:『五十年を五年で』のスローガンで主幹道路整備やブラジリア遷都を達成。

・「もしナショナリズムという意識の形態が国家的なアイデンティティーを求めての闘争の手段であるとすれば、テネンティズモの流れこそそれに該当するものであろう。」

All you have to do is pour hot water and wait for three minutes...

1. Make a TALHARIM, a non-cup instant noodle, with a bit much hot water.

2. Eat what you make in #1.

3. Boil cabbage.

4. Boil the extra soup made in #1 with another pot.

5. Put rice.

6. Put parmesan cheese into the soup after a while.


Then, here comes a good risotto! =D

2010年9月7日火曜日

Holiday among weekdays

Now I can update because the access to the Internet in my house has got back.



Anyway, today it is a holiday celebrating the Independence of Brazil in 1822.

Compared with Japan, it was earlier in terms of the "Western Impact". Of course, Brasil was once governed by the Royal Family of Portugal and the Independence was declared by one of the Family but the history is not so simple, I guess... That's what I learned from a history book recently.

Well, today I was very happy because my name "Kentaro" was rightly recognized by a Starbucks' stuff. Last time when I went to another Starbucks, he didn't recognize but today as a photo below:

(In Brasil, you will be given a paper cup with your first name on it, if you ordered something to drink.)


今日は友人が我が部屋から引っ越した。近隣との若干のトラブルがあったものの、最小限に抑えられたと思われる。しかし、いざお別れとなるとなんだかSaudadeですね。Bom viagem!

ひとまず彼と一緒に行った近所のスタバは非常に居心地がよかった、というお話。

あ、ちなみに発した言葉を正しく認識してもらうためにはやはりアクセントが鍵。僕の場合、あえてカタカナ表記すると「ケィンタァロ」と言って今日の感動に至った。英語だと「タ」の音を強調してRをしっかり発音すればいいんだけど。英語だけが外国語ではないということですな。(偉そうなこと言ってますが、英語にポル語に頑張ります。。。)

Tchau!