2011年2月26日土曜日

On the way back to SP/ 事の顛末#3

As written before, I decided to stay at Ushuaia for 13 days because of the lack of money.

After I enjoyed the stay there, I took a flight back to São Paulo via Buenos Aires from Ushuaia.

It happened at a moment I was waiting for the boarding gate open.

I was checking inside of my backpack.

Then, there was an envelope which had R$250 inside....

...

......

......... ! ! !

It was that I had totally forgot the presence of the envelope inside of my backpack after I got robbed in Buenos Aires.

With that money, approximately equal to AR$625, I could have traveled from Ushuaia to El Calafate to see the Glacier Perito Moreno and many fantastic sights in Patagonia.

At that moment, I CALMLY closed my baggage and decided to proceed what I had to do...

(Snowed mountains seen from the Tierra del Fuego National Park)

以前書いた記事の続き

帰りの飛行機に乗るべく、チェックインを済ませ、乗り口カウンター前で時間を潰していた時のこと。

リュックの中を整理していたら、なんとR$250(ブラジルの貨幣。約625アルゼンチンペソ。12,500円くらい。)が出てきたのだった。

それを発見した瞬間、いろんなことを頭が駆け巡った・・・(うん、それだけのお金があれば、足りなかった食費を補って余りあるよね。。。:その時の心のつぶやき)

が、この3週間の旅行をインターンシップでもらっていた1カ月分の給料でやりくりすると決めていたため、落ち込むというようなことはさほどなかった。

とはいえ、「埋蔵金」が発見された瞬間は声を出して笑ってしまった。あはは。

その後は、「埋蔵金」を見なかったことにして、ブエノス経由のサンパウロ行きの飛行機に乗り込んだのでありました。。。


2011年2月23日水曜日

School visit

Yesterday I visited my high school to make a presentation about my experience in Brazil which was given to four classes in the first grade.

I spent making the slides the whole day before yesterday.

The theme was "My Tangible Brazil" and each class runs 50 minutes.

One of my friends among the teachers invited me to do that.

When he proposed it to me, it was supposed to run 30 minutes and after that there would be a time for Q&A.

But since I talked too much, every time the limit in time pressed me to rush!

(This video is really funny because of the man showing up, but I was about to use this video to explain about the linguistic situation there in São Paulo - I didn't use it for the presentation.)


授業で使おうと思ったのは音声だけでしたけどね。。。(ちなみにサンパウロの地下鉄について書いた記事はこちら。)

というわけで、母校にて「ようこそ先輩、課外授業」をやってきた。

あの番組ほど本格的ではないが、つまりは高校1年生相手の政経の授業のコマを使って、自分の経験を元にした話をしたということである。

生計の授業枠内だったけれど、内容はどちらかというと地理だった。

突貫工事でやっつけた割には、なんとかなったという印象である。

1.自己紹介→2.ブラジルで何をしてきたか→3.ブラジルはどんなふうだったか

上記3本立て。

最後のほうのクラスでは、喋りに勢いがついてしまって、時間が足りなくなってしまった。

加えて、1時間目からぶっ続けで4時間やったせいか、或いはほぼ徹夜でスライドを作ったせいか、終えた後の充実感(=虚脱感?)は筆舌に尽くしがたいものがあった。

残念なのは、話してる最中の写真を撮ってもらいそびれたこと。

他のクラスの政経の担当の先生も知り合いの先生なので、ひょっとしたら「ようこそ先輩~」は次回があるのかもしれない。

久しぶりに訪れた母校の様子(生徒たちの様子、職員室の改装などなど)がわかって楽しかった。

(母校の事務室脇からの風景。なんだかわけわからないか笑)


オマケ:「Volare」 by Gipsy King

日本では某CMで有名。僕の中のブラジルのイメージにぴったりなので、授業のオープニングで使おうとしてました。(最初の1回しか再生する余裕なかったけど。)


もともとはイタリア語で書かれたバラードで、そこからこのバンドが一部をスペイン語に改変してアレンジしなおしたものとのこと。ブラジル(ポルトガル語)でもなんでもないんですね。

なお、有名なフレーズは「Volare oh, oh, Cantare oh....」というもの。「Cantare」を「がんばーれ」と空耳しがち。

「Voar, oh oh, Cantar oh...」(ポルトガル語)

「Fly, oh oh, Sing oh...」(英語)

2011年2月20日日曜日

My watch

Today I changed my watch's long and short bars an hour earlier.

It is because the summer time in the eastern area of Brazil ended on 20th, February.

So far, I didn't adjust my watch to the Japan Standard Time because it is a bit boring and I am missing something in Brazil.

But finally I did.

Which means the bars run in the same way as to Japan.

(Of course, I need to adjust the other factors the watch has!)

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ブラジルの夏時間に合わせていた腕時計の針を調整した。

サンパウロをはじめとするブラジル東海岸側地域のサマータイムが終わったからだ。

サマータイムの終焉をタイムリーに知らせてくれた、在サンパウロの友人に感謝。

1時間早めた時計の針は、日本の時刻と同じである。

それでもsaudadeは治まらない。

2011年2月18日金曜日

Decision at Ushuaia/ 事の顛末#2

I decided to keep travelling though I was robbed in Buenos Aires as written before.

During the journey, I was keeping my money in cash with me.

That's why I could make it although I lost my credit card.

And again, the problem, a limit in money, influenced on my travelling plan at Ushuaia....

From now on, I will write in Japanese.

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つまりは、金欠(手持ち現金の不足)のためにパタゴニア周遊計画を断念し、ウスアイアで13日間過ごすことに決めたということである。

なにしろ、サンパウロのアルゼンチン航空の事務所に乗り込んで航空券を買ったときに、ウスアイアIn+Outに決めてしまったのだから仕方がない。

パタゴニアを周遊するにしても、2月2日までにウスアイアに帰って、2月3日には飛行機に乗ってカラファテ・ブエノスアイレス経由で一気にサンパウロへ帰ることになっていたのである。

そもそも航空券の変更が利かないことに気付いたのは、ウスアイアに到着して4日後に、アルゼンチン航空の現地支店に直接確認した時であった。

仕方ないので、長距離バスで往復する計画に切り替え、カラファテ(El Calafate)に投宿して3泊ほどし、氷河を見に行くつもりで、情報収集をした。

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計算の結果、往復のバス代も宿代も国立公園入園料も現地での氷河観覧ツアー代も手元にあるのに、その間の食費がまるまる足りないことが判明。

氷河観覧ツアーの代わりに、現地の宿で同志を募ってレンタカーで行くとか、朝6時前に国立公園のゲートを通れば入園料とられないとか、現地宿(Fujiという日韓宿)でバイトするなど、安くすませる手段はあったが、どちらも現地に行かないと実現可能か判別できない。

カラファテ行きを断念し、ウスアイアに13日間に続けることに決めた。



1月21日にウスアイア入りし、上野山荘という日本人宿に投宿したのが23日。そこから2月3日まで居座り続けた。

パタゴニアまで来る日本人の旅人たちは流石に玄人ばかりだった上に、半分以上の人が互いに南米のほかの場所で既に知り合っていたという場合が多かった。

そんな理由で、まったく旅慣れしていない自分が馴染めるか最初は不安だったのだが、滞在1週間目を過ぎたあたりで大分馴染めたと思う。

バイクや自転車でアメリカ大陸を縦断してる人々、夫婦やカップルで世界一周、はたまたJICAの青年海外協力隊でパタゴニアやパラグアイに来ている人など、様々な人に出会った。

日本にいてはなかなか会えないような人たちと地球の裏側で出会えたのは、例えようもなく不思議な感覚だった。

最後に、日本に帰ってきてからの彼らを訪ねたいと思えたのは、13日間ウスアイアに居続けたからこそなのだと記しておきたい。

2011年2月15日火曜日

Accident in BsAs/ 事の顛末

In this article, I will write in Japanese about an accident that happened to me in Buenos Aires during my three-week long traveling in Argentina.

In summary, I was robbed of my purse in "subte A", the light blue subway but it didn't matter so much because fortunately the damage was not so big and I decided to keep going on besides that.

Only thing I have to say is "Please give my CPF card back!!" (^o^)/

Buenos Aires metro map

と、既にあらましを冒頭に書いているわけだが、改めて日本語で書いてみようと思う。

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詰まる所、ブエノスアイレスの地下鉄で財布をすられたということである。

幸いにして財布に入っていたものは:

お金が約200ペソ(≒4000円)、学生証、運転免許証、大学生協組合員証、サンパウロ版SUICA、会社支給の昼食用デビットカード、ブラジル納税者ID、クレジットカード、、、

だった。

基本的に旅の予算は全て現金で、しかも本体は宿のセーフティボックスに入れていたので、旅に支障をきたすには至らず、事件の時に行こうとしていた日本料理屋にも当日のうちに行ったのだった。

時系列を追って詳細を箇条書きすると以下の通り:

1.昼間タンゴ生誕の地と言われるボカ地区へストリートタンゴを見に繰り出す。

2.同じ日本人宿の2人と一緒。

3.ボカ地区から港地区へ足を延ばし、その後、一人は宿へ。

4.残りの二人でPlaza de Mayo駅で地下鉄に乗車、夕方6時過ぎで大混雑。

5.Pasco駅で降りようとしたのを阻まれ、突破。ホームに降り立つも財布の不在に気付き、列車に戻る。

6.ドアが閉まる直前、一人降車したのが見えたが、気にせず車内を捜索。見つからず。

7.一つ先の駅で乗り換えて戻ろうとするも、片側路線しか止まらないということを知らず勝手に混乱(地図要参照)。

8.駅に戻っても、とりあえず翌日にGarantia(保障)の部局に電話しろの一点張り。

9.宿に帰ってクレジットを止める。

10.仕切り直しのレストラン「日本橋」でのしゃぶしゃぶ。夏休み最後の日だとのことで、行ってよかった。サンパウロでもこの水準の肉を食したことがなかったので涙が出そうになった。

11.翌日地下鉄警察に行って被害届の紙を取得。スペ語とポル語と英語が錯綜した。警察もお気楽。

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原因として考えられるのは以下の通り。

1.サンパウロで8カ月何もなかったことで調子に乗っていた。

⇔通勤に地下鉄を使っていたため、地下鉄という乗り物に対して完全に気を許していたのは事実。実際にサンパウロで使っていた地下鉄緑線(Linha Verde)が市内で一番安全な列車だということを認識していれば、と思わなくもない。

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宿でもオーナー兼管理人さんが非常に心配してくださった。本当に感謝の念が尽きない。

すられた当初はさすがに唖然茫然だったが、そんなつまらないことで旅の計画(といってもさした計画ではなかったが)を潰されてはたまらないという思いが先行し、なんとか立ち直ることが出来た。

クレジットカードを止めて直ぐに、しゃぶしゃぶを食べに行ってくれる宿の同居人がいてくれたことも幸いした。

一つ目の事の顛末は、これでお終い。

2011年2月12日土曜日

Back home

Now I am back home in Japan.

Via Washington, USA, it was a 26-hours flight including 6 hours waiting at Washington.

After I arrived at Tokyo Narita International Airport, two of my friends came to welcome me.

It was good talking with them there.

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So, I am now back in Japan.

But it seems for me to take a while to get accustomed to this reality.

One thing is more practical.

Since I have been off school and lost my student ID and the driver's license, I have to register myself as a Japanese student, meaning I have to recover my IDs.

The other is more cultural.

So far I haven't gone out so much after I came back home because of the jet lag.

But in my recent experience in this country, the way back home from the airport, there were many things surprising me.

First, the language.

In Brazil, the signs are hardly written even in English.

But here in Japan, the signs are written in Japanese and English, and probably in Chinese and Korean.

In another way, I am feeling as if I could communicate with all the people in this country.

This feeling came from the gap in how willingly I am to speak with the other people.

For example, it was limited for me to talk in my mother tongue so far and I had to try to listen to them.

But here it is not true. I can communicate whenever I want.

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In the train, there were many people checking information with their cellular phone.

At that moment, an idea to talk with them came into my mind because it is common in Brazil and I can communicate with them in the mother tongue. But I didn't.

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Now my priority is to recover my status as a Japanese citizen!