2011年2月18日金曜日

Decision at Ushuaia/ 事の顛末#2

I decided to keep travelling though I was robbed in Buenos Aires as written before.

During the journey, I was keeping my money in cash with me.

That's why I could make it although I lost my credit card.

And again, the problem, a limit in money, influenced on my travelling plan at Ushuaia....

From now on, I will write in Japanese.

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つまりは、金欠(手持ち現金の不足)のためにパタゴニア周遊計画を断念し、ウスアイアで13日間過ごすことに決めたということである。

なにしろ、サンパウロのアルゼンチン航空の事務所に乗り込んで航空券を買ったときに、ウスアイアIn+Outに決めてしまったのだから仕方がない。

パタゴニアを周遊するにしても、2月2日までにウスアイアに帰って、2月3日には飛行機に乗ってカラファテ・ブエノスアイレス経由で一気にサンパウロへ帰ることになっていたのである。

そもそも航空券の変更が利かないことに気付いたのは、ウスアイアに到着して4日後に、アルゼンチン航空の現地支店に直接確認した時であった。

仕方ないので、長距離バスで往復する計画に切り替え、カラファテ(El Calafate)に投宿して3泊ほどし、氷河を見に行くつもりで、情報収集をした。

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計算の結果、往復のバス代も宿代も国立公園入園料も現地での氷河観覧ツアー代も手元にあるのに、その間の食費がまるまる足りないことが判明。

氷河観覧ツアーの代わりに、現地の宿で同志を募ってレンタカーで行くとか、朝6時前に国立公園のゲートを通れば入園料とられないとか、現地宿(Fujiという日韓宿)でバイトするなど、安くすませる手段はあったが、どちらも現地に行かないと実現可能か判別できない。

カラファテ行きを断念し、ウスアイアに13日間に続けることに決めた。



1月21日にウスアイア入りし、上野山荘という日本人宿に投宿したのが23日。そこから2月3日まで居座り続けた。

パタゴニアまで来る日本人の旅人たちは流石に玄人ばかりだった上に、半分以上の人が互いに南米のほかの場所で既に知り合っていたという場合が多かった。

そんな理由で、まったく旅慣れしていない自分が馴染めるか最初は不安だったのだが、滞在1週間目を過ぎたあたりで大分馴染めたと思う。

バイクや自転車でアメリカ大陸を縦断してる人々、夫婦やカップルで世界一周、はたまたJICAの青年海外協力隊でパタゴニアやパラグアイに来ている人など、様々な人に出会った。

日本にいてはなかなか会えないような人たちと地球の裏側で出会えたのは、例えようもなく不思議な感覚だった。

最後に、日本に帰ってきてからの彼らを訪ねたいと思えたのは、13日間ウスアイアに居続けたからこそなのだと記しておきたい。

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