少なくとも海外から目を背けて仕事は出来ないご時世だという意見に異論はないはずだ。
加えて、僕は、どうせ海外から目を背けられないのであれば、そこにいる人々が何を考えているのか、どんな感性を持っているのか、知りたいと思う性質の人間である。
社会人になる前に自分で機会を捉える必要があると思いつつ、中高6年間は日本国内に留まった。
学生である間に、海外で働く経験を得たい。そう思って、この海外インターンシップという機会に飛び込んだ。
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今振り返ってみると、当初の目的が達成された面もある一方で、達成されなかった面もある。
当初の目的が達成されたといえるのは、現地での「生活」を通じて見えてきた彼らの一般的な価値観やら風土といったものである。
或いは、その風土へ適応するプロセスを自分の中で一通り実験してみた結果としての自信と言い換えられるかもしれない。
8ヶ月もの時間を投資して、多少は言葉を勉強し、さらには現地の人と机を並べていたのだから、こうしたことを達成事項としてあげるのは、当たり前といえば当たり前だといえるかもしれない。
達成できなかったのは、上記の理解を前提として成り立つ「協同」であると言える。
僕の中で「海外で働く」という時、その裏にこの「協同」という概念がぼんやりとくっついていたし、それはインターン先を決めるときも意識していた。
さしあたり「協同」とは、互いの価値観の相違を乗り越えて一つの目標に向かって歩みを共にすること、とでも言える。
文化の差異なんて相対的なものであって、別固体と比較する限り必ず存在するはずだが、国が違えばその差異の程度も想像だにしないものになるだろうという目論見である。
今回のインターンシップにおいて、残念ながら意図される「協同」を実現することは出来なかった。
言い換えれば、いわゆる日本企業的なロジックの枠組みから一歩踏み出して、彼女らと仕事をすることはなかったということだ。
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原因は複数あろうが、主には、1.(総論)インターン先が日系企業であったこと、2.(各論)設立後2年目で「現地化」の優先事項が他の活動にあったこと、(各論)自分がそこに甘んじたことにあると思う。
一応弁解しておくと、「協同」の文脈でそこにある状況に甘んじてしまっただけであって、仕事一般としては相応のアウトプットを出したつもりだし、そうした評価をいただいている。(この反省は、今改めて振り返ればこそのものであることをご留意されたい。)
1.インターン先が日系企業であったこと
総論としては、この一言に尽きる。
しかし、ここで書いておきたいのは、インターンシップを始める段階では全くその事実を気にしていなかったということだ。
というのも、職場における役割として、社長さんのアイディアを現場に落とし込み、ブラジル人たちと形にしていくもの、と聞いており、すなわち彼らブラジル人と共に成果を出す必要があると解釈していたからである。
しかし、現実は違った。少なくとも、上記解釈のようなことは求められていなかった。
しかし、現実は違った。少なくとも、上記解釈のようなことは求められていなかった。
これは、求人票に書いてある情報は、非常に限られたものでしかないということの端的な例と言えよう。
その意味で、若干余談だが、報酬に見合った成果を出すという点で、その組織の構成員の多数と同等の視点を得られるような「インターンシップ」という機会に身を投じることは、非常に意味があるし、あったと思う。
2.設立後2年目で「現地化」の優先事項が他の活動にあったこと
設立後2年目というのは、我がインターン先固有の事情であって、原則非常に恵まれた機会だったと感じている。
問題は、「ものづくり」を標榜する日系メーカーの、進出したばかりの海外拠点が、「協同」の追求に適していたかどうかということだ。結論は否。
二輪メーカーの生産・販売拠点の新規展開期ということで、当然現地化せざるを得ない部分もあるはずだ。
しかし、割り振られた業務領域とその周辺領域において「現地化」というキーワードを意識することは一度もなかった。
例えば、次期モデル開発のための市場調査(上記「周辺領域」に該当)は日本からの調査団が一貫して主導権を握っており、商品企画はあくまでも日本が担うという前提があった。
例えば、次期モデル開発のための市場調査(上記「周辺領域」に該当)は日本からの調査団が一貫して主導権を握っており、商品企画はあくまでも日本が担うという前提があった。
したがって、少なくとも現地化の推進が我が担当領域には求められておらず、現場における「協同」は実現の機運に欠けていたといえる。
3.自分に甘えてしまったこと
これも結局見方の問題。
当初は「ブラジル×裁量ある仕事」くらいにしか考えておらず、「協同」ということについて、そこまで言語化・意識化できていなかった。
実際、あちらで「協同」していたと言えなくもないないが、その相手はブラジル人ではなく、日本人の社長さんだった。
これも結局見方の問題。
当初は「ブラジル×裁量ある仕事」くらいにしか考えておらず、「協同」ということについて、そこまで言語化・意識化できていなかった。
実際、あちらで「協同」していたと言えなくもないないが、その相手はブラジル人ではなく、日本人の社長さんだった。
一方、こうして振り返ることで言語化できるようになった面があり、自分としては当初言語化できなかったことは致し方ないものと考えている。考えるより感じろ、だ。
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次の、或いは近い将来の舞台で、リベンジしてやろうってなもんだ。
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